「ベンツに乗りたい」から始まった起業。陳逸翔さんが中国一本で挑み続ける理由

株式会社篤月代表取締役 | 陳 逸翔(ちん いっしょう)

「20代でベンツに乗りたい」。そんな憧れを出発点に、営業の仕事を選び、起業した陳逸翔さん。日本と中国を行き来して育った経験と営業力を生かし、今は中国SNSを通じて日本企業の集客を支えています。思いがけない転機から見つけた仕事、逆風のなかでも中国一本で挑み続ける理由、そして陳さんが考える豊かな人生について伺いました。

陳 逸翔(ちん いっしょう)

株式会社篤月代表取締役 | 陳 逸翔(ちん いっしょう)

1999年、岐阜県生まれ。上海の日本人学校を経て、中京大学でスポーツを学ぶ。卒業後は広告代理店で1年間、営業を経験し、早稲田大学大学院へ進学。在学中の2022年に株式会社篤月を設立。営業代行から事業を始め、現在は小紅書(RED)などを活用した中国SNSマーケティング支援と、中国人材の紹介を手がけている。

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小紅書(RED)で、日本企業と中国のお客さまをつなぐ

株式会社篤月の主力事業は、中国のSNS「小紅書(シャオホンシュー/RED)」を軸にしたマーケティング支援です。日本企業が中国のお客さまに情報を届け、来店や利用につなげるための方法を、一緒に考えています。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「日本の企業さんがインバウンドで中国のお客さまを集めたいとき、インフルエンサーを使うのか、SNSを使うのか、それとも別の導線をつくるのか。そうしたサポートをしています」

取材時点で、継続して支援している企業は約70社。陳さんが運用代行を始めたころと比べ、小紅書を活用したいという日本企業の関心も高まってきたと感じています。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「最初のころは、投稿して24時間経っても再生数がゼロのままだったり、送ったDMが相手に届かなかったりすることもありました。そこから小紅書も進化して、今はかなり使いやすくなった印象です。日本で『中国市場を狙うなら小紅書』という空気ができてきたのは、僕の感覚では2025年ごろからですね」

支援先の課題や予算に応じて、サービスの形も変わります。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「飲食店さんに毎月数名のインフルエンサーを紹介するようなプランもあります。小紅書を活用する企業は、少しずつ増えている感覚がありますね」

中国からのお客さまが増えると、接客などを担う中国人スタッフへのニーズも生まれます。篤月では、こうした企業の採用を支える人材紹介にも取り組んでいます。

きっかけは Cクラスに乗る親戚のおじさん

そもそも、なぜ起業しようと思ったのか。返ってきたのは、率直な答えでした。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「最初の理由は安直で、ベンツに乗りたかったんです(笑)。『年収と同じ金額で車を、年収の10倍で家を、月収で時計を買いなさい』という話を聞いたことがあって。20代でCクラスの新車に乗るには、それくらいの年収が必要なんだなと思ったんです」

起業を意識したのは、高校3年生、18歳ごろのこと。憧れの原点には、中国に暮らす母方の親戚のおじさんがいました。親戚には事業を営み、土地を持つ人もいて、そのおじさんも時間と暮らしにゆとりがあったといいます。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「とにかく時間があって、幼い僕とよく遊んでくれたんです。いろんなゲームを教えてくれて、Cクラスにも乗っている。この人は成功しているんだ、こういう人にならなくてはと思っていました。ただ、社会人になってから、実は定職に就いていなかったと知るんですけどね(笑)」

岐阜県生まれの陳さんは、1〜2歳のころから、中国の祖母のもとと日本の両親のもとを行き来しながら育ちました。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「幼いころは、飛行機で中国へ行って、向こうでは祖母がCAさんから僕を受け取ってくれる。そんな行き来を繰り返していました。両親には、日本語と中国語の両方を話せるように育てたいという思いもあったようです」

日本語と中国語の両方に触れて育った陳さん。「将来は自分で商売をする」という考えも、身近な人たちの暮らしのなかで自然に芽生えていきました。その背景にあったのが、福建省の親戚たちの働き方です。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「僕の親戚には、『会社員は数年だけやって、あとは小さな商売でもいいから自分でやろう』という考え方があるんです。屋台のおでん屋さんでもいい。洗車の仕事を覚えて、お金の流れがわかったら自分の店を出す人もいる。だから僕も、将来は自分で事業をやるものだと当たり前に思っていました。30歳までに独立してベンツに乗る。それが漠然とした目標でした」

バスケットボールの道から 営業の道へ

中学・高校時代を過ごしたのは上海。日本人学校で学び、大好きなバスケットボールに関わる仕事がしたいと、トレーナーを目指して中京大学へ進学します。ところが大学では、思い描いていた未来と現実の差に向き合うことに。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「体育会に入って、全国レベルの選手たちとの差を肌で感じました。トレーナーの道も考えて収入を調べてみたんですが、自分が目指す暮らしとは隔たりがあるな…と」

1年ほど進路を模索するなかで、本で読んだある考え方が、次の道を選ぶヒントになりました。

売る力を身につけるには、言葉が話せるだけでは足りない。陳さんが磨こうとしたのは、日本語で相手と関係を築く力でした。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「日本語はもともと話せましたが、人を褒められるとか、ささいなことに気づけるとか、そういう力は別ですよね。当時、僕が知る限り、イケてる大学生はみんなスタバにいたんです。じゃあ、スタバに行こうと思って(笑)」

自らを「安直」と笑う陳さん。身近な憧れをきっかけに、まず動いてみる姿勢は、このころから変わりません。大学卒業後は広告代理店に就職し、営業を担当。しかし、そこで次の転機が訪れます。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「5年ほど経験を積んでから独立するつもりでしたが、両親から大学院への進学を勧められて。ちょうど友人にも一緒に受けないかと誘われたので、早稲田大学大学院を受験することにしたんです。深夜1〜2時に帰宅して、そこから4時まで勉強する生活を1〜2カ月続けて合格。会社を辞めて、大学院に進みました」

中国のSNSでの反響から 自分の強みを見つける

大学院在学中の2022年、陳さんは会社を設立します。ただ、最初の事業は今とはまったく違うものでした。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「何をやればいいのか、就職活動のときのようにもう一度自己分析をしたんです。そこで強みとして見えてきたのが、前職で鍛えたテレアポの力でした。これなら経営者の方の役に立てるんじゃないかと、営業代行を始めました」

一人では面白くないとSNSで仲間を募ると、同世代の留学生が集まってきました。ところが、電話でアポイントを取る仕事を任せたメンバーは、ほどなくして離れてしまったそう。その経験を、陳さんはこう振り返ります。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「当時の僕は勢いがあって、メンバーにも厳しく言っていました。それで初めて、営業は誰でもできることではないんだと気づいたんです。人の商品を売るだけでなく、自分の商品をつくる必要がある。僕が売って、サービスの運用は仲間に任せられる形にしようと思いました」

次に目をつけたのが、TikTokの運用代行。まず自分の発信で反響を得なければ説得力がないと考え、毎日撮影と編集を重ねます。そこで、思いがけない転機が訪れました。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「帰省で上海にいて、日本のTikTokに投稿できなかったんです。仕方なく中国の抖音(Douyin)と小紅書(RED)に上げたら、バズってしまった。もしかして、僕がやるべきは日本のTikTokじゃないのかもしれない、と思いましたね」

中国の人が何を面白がっているのか、コメントを分析しては改善を繰り返し、1週間で約3000人、半年で約3万人のフォロワーを獲得しました。こうして中国のSNSでの発信を続けるなかで、陳さんはやがて小紅書の運用代行を始めることになります。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「中国の人に向けて発信できる。広告業界の経験もあるし、営業もできる。それなら、小紅書の運用代行をやろうと思ったんです」

当時、陳さんが調べた範囲では、日本で小紅書の運用代行に対応する会社は15社ほどだったそう。競合の実績や料金を調べ、自分たちが勝負できる場所を探しました。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「競合より導入しやすい料金で始めて、まず中小企業の成功事例をつくれば、結果は後からついてくるんじゃないかと思ったんです」

逆風でも「中国一本」で勝負し続ける

創業から成長を重ねてきた篤月ですが、2026年は事業の伸びが鈍ったといいます。陳さんが大きな要因として挙げるのが、日中関係の影響です。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「日中関係で、こんなに大きく影響を受けるとは思っていませんでした。大手のお客さまから『いったん広告を止めたい』『別の国に予算を回したい』という話が出て、売上が大きく下がったんです。半年ほど厳しい時期が続いて、最近ようやく回復傾向にあります」

ちょうど「ここから攻めるぞ」とメンバーを増やし、体制を整えた矢先。それでも陳さんが選んだのは、中国に向けた支援を続けることでした。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「台湾や香港にシフトする競合も見かけました。でも、自信を持ってやれるものは、そう簡単にはできないと思うんです。付け焼き刃で『台湾も香港もやります』と言って、価値を出せなければ信用を失う。僕らはあくまで中国一本で勝負し続けようと決めました」

その間は、SNSやYouTubeなど自社でできる発信を強化。AIも活用しながら、今いるメンバーでできることに取り組みました。続けてきた発信が、少しずつ新しい依頼につながっていると感じています。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「『中国マーケティングに強い会社』『小紅書に強い会社』として、僕らの名前が挙がるようになって、受注も少しずつ増えているところです。今いるメンバーと一緒に種をまき続けてきた。やり続けてよかったと思いますね」

幸せを因数分解して見えてきたこと

多忙な日々のなかで、ここ1年ほどは意識して休むようにしているといいます。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「僕はもともと休みはいらない派だったんですけど、先輩経営者の話を聞いて、働きすぎると心も疲れてしまうんだなと。今は土日に仕事をしないようにしています。ただ、SNSを見ていると、『この社長、面白いな』と営業先として無意識に保存してしまうんですよ。だから、車で遠くまで走って温泉に入って帰ってきたり、ゴルフをしたり。スマホを触らず、画面を見ない時間を意識してつくっています」

陳さんにとって、豊かな人生とは何か。尋ねると、「いい質問ですね。毎日考えているんです」という答えが返ってきました。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「3年ほど前に、幸せを因数分解してみたことがあるんです。心を開いて話せる友達がいること。信頼できるパートナーがいること。家族との関係が良好なこと。いい車があること。そして、時間の拘束が少ないこと。まったく働かないのではなく、ほかの人が8時間働くところを5〜6時間でいい、くらいの感覚です。この5つがそろうように頑張っています」

いい車と、時間のゆとり。親戚のおじさんに感じた憧れは、今も陳さんが目指す暮らしにつながっています。そして、その幸せを自分だけのものにしたいとは考えていません。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「自分が豊かでも、周りが豊かでなければ、時間の使い方や遊び方が合わなくなってしまう。まず自分がその状態になったら、次は家族や身近な友人、社員も含めて、周りの人たちを守りたいと思っています」

4つの事業を育てて上場を目指す

これから育てたいのは、SNSマーケティング、人材紹介、貿易、不動産という4つの事業です。すでに取り組む2つに加え、貿易と不動産を次の柱として構想しています。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「人材紹介は半年ほどやって、ようやく最近、黒字に転じ始めたところです。その先を考えるのが、僕の仕事だと思っていて。次はものを越境して売ったり仕入れたりする貿易、その次が不動産です。日中関係が悪くなれば、僕らの会社はどうしても影響を受ける。それでも、事業を分散させて、それぞれの柱を太くしていけば、会社は安定すると思うんです。4つの事業が安定すれば、上場も目指せるのではないかと考えています」

「上場したい」というのは、創業当初から口にしてきた目標です。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「大変だよとは経営に携わっている皆さんに言われました。でも、それが僕の中の『かっこいい姿』のひとつなんです。だからこそ篤月を上場させたいですね」

迷っているならまず営業から

最後に、起業を考えている若い人へのアドバイスを伺うと、返ってきたのは迷いのない一言でした。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「とりあえず、営業をやりなさいと言います。どう会社をつくろうかと悩んでいる人は、たぶん僕と同じで、プロダクトをつくる側じゃないと思うんです。アイデアがないなら、既存の商品を売るのでもいい。営業力を磨いて、磨いて、磨けば、まず食いっぱぐれることはありません。生活が守られて初めて、『世の中のこういうところって、なぜかできていないよね』と気づけるようになるんです」

陳さん自身、営業代行で足場を固めたからこそ、インバウンドの担い手の少なさに気づき、自分の道を見つけました。そして、こう結びます。

陳 逸翔(ちん いっしょう)さん(以下:陳さん)

「小紅書を選んだ背景にも、いろいろな理由が重なっています。やっぱり選ぶ道はここかなと思って、僕はやり続けています」

「20代でベンツに乗りたい」という憧れから、まず営業の力を磨いた陳さん。行動するなかで見つけた強みを、今は日本と中国をつなぐ仕事に生かしています。自分が望む暮らしと、身近な人たちの幸せ。その両方を目指しながら、選んだ道を進み続けています。

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