日本人のユーザビリティを追求し、ビジネスチャットのトップクラスに

Chatwork株式会社代表取締役CEO | 山本正喜

ビジネス上のコミュニケーションを行う上で欠かせない存在となっているオンラインチャットツール。日本でトップクラスのシェアを誇る「Chatwork」は、その快適な操作性から着実にファンを増やし続けています。Chatwork株式会社の代表で、サービスの開発を担当した山本正喜に、その誕生秘話を伺いました。

山本正喜

Chatwork株式会社代表取締役CEO | 山本正喜

やまもとまさき/1978年生まれ。少年時代からコンピューターを学び、電気通信大学在学中に兄・敏行さんとインターネット企業EC Studioを創業。2011年にリリースしたビジネスチャットツール「Chatwork」では開発から事業展開までを一人で担当し、中小企業を中心に売上を伸ばす。EC Studio は2012年には社名をChatwork株式会社に変更。2018年に代表取締役CEO兼CTOに就任し、2019年に東証マザーズでの上場を果たした。

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日本人の国民性に寄り添ったチャットツール

ビジネスツールのオンライン化が進む昨今、連絡事項のやりとりを円滑に行えるクラウドチャットツールは、急速にニーズを伸ばしています。

 

2011年に登場した「Chatwork」は、それまで海外製が優位だったビジネス用のチャットツールの中で、日本人の使い勝手を考慮したことで急速に支持を獲得。リリースから10年を迎えた現在もブラッシュアップを重ねながら新規ユーザーを増やし続けています。日本ではITなど、一部の業界でしか使われていなかったリアルタイムのチャットツールをビジネスシーンに根付かせた功績は、まさに革命的。その開発には、現在、Chatwork株式会社の代表を務める山本正喜さんのビジネスコミュニケーションに対する思いが息づいていました。

山本正喜さん(以下:山本さん)

ご自宅からZoomをつなぎ、オンライン取材を行いました

山本さんが「Chatwork」を開発したきっかけには、2010年代初頭の日本のビジネス環境が大きく影響しています。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「Chatworkは2011年3月のリリースで、我々はSkypeやWindowsメッセンジャーなど、仕事でチャットを活用していたのですが、世間のほとんどの人は、その存在すら知らなかったと思います。リリース当時はビジネス向けの社内SNSが流行ってきていたので、テック系のメディアも『なんで、ビジネスにチャットなの?』と反応も冷ややか。しかし、フリーランスのエンジニア・デザイナー・ライターなど、ITリテラシーの高い、一部のコアな層にはちゃんとユーザーがいて、その方たちにはしっかり刺さりました。現在では中小企業を中心にユーザーが332,000社以上(2021年9月末日時点)、439万人以上(2021年6月末日時点)を突破しています

「Chatwork」が大きな支持を獲得した背景には、日本人のビジネスに対する捉え方が大きく関係しているとのこと。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「海外製のプロダクトだと英語圏の考え方で制作されるので、コミュニケーションスタイルもそれに合わせざるを得ない。たとえばアメリカと日本だと共有に対する考え方も違っていて、海外だとスケジュールを共有するだけでプライバシーの侵害と言われるんです。余計なコミュニケーションはしないという考え方で、グループチャットでも日本人だと、とりあえず入っておこうとなるけど、海外の場合、自分に関係ない話題ならどんどん抜けていきます。それを考慮してChatworkはグループチャットとビジネスチャットを使い分けられるようになっていたり、あえて既読機能を付けなかったりと、日本人がビジネスで使いやすいツールであることを意識しました」

世界と比較し、「日本とそれ以外」というほどガラパゴス的な日本のビジネスコミュニケーションに特化したことで「Chatwork」は独自性を開花させます

しかし、開発にあたっては社内の大反対にあい、山本さんは事業のすべてを一人で行うことに。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「一つ前に社運を賭けた大プロジェクトが大失敗しまして。それで3億円ぐらいの大赤字を出したんです。そのダメージが大きいところに僕が『ビジネスチャットのツールを作りたい』って言い出したものだから、役員はじめ社内メンバーからは、こんな時に何を言っているんだと突っぱねられました。作れるかどうかわからないし、時代としても早すぎるって。ただ、僕は思いついちゃったし、どうしてもやりたかった。経験上、チャットでビジネスをする価値は確信していたんです。それまではクラウド上でチャットを作ることは無理だったけど、2009年ぐらいに技術革新があったこともあり、これならいけるぞ!と思って一人で踏み切りました」

基本的な機能を無料で使用できるフリーミアムモデルだったことから、リリース後、収益化のための試行錯誤はしばらく続きました。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「無料サービスを作るのはそんなに難しくないけど、そこから有料版として100円、200円とお金をいただくのって、めちゃくちゃハードルが高いんです。開発コストやサーバーコストもかかっていて、ユーザーは増えるけど、全然、有料化してくれなかったらどうしよう…って。Chatworkはリリースから3ヶ月でようやく有料ユーザーが出てきて、半年でその数が一定になり、なんとかやっていけそうかなと感じました。そのあたりのしきい値は、前社長の兄がニュアンス的に示したものを私がロジカルな数字として打ち出す方式で調整していました」

アクティブな敏行さんとロジカルな山本さんの兄弟コンビでの連携でChatwork株式会社は業績を拡大

初期段階から山本さん一人で開発を行っていたため、当初はユーザーからの反響も一手に対応。通常では考えられないほどスピーディーなブラッシュアップが話題になったことも。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「Twitterに張り付き、30分に1回ぐらい”Chatwork”で検索して反応を見ていました。それでサービス的に困っている声があれば、ノウハウを即レス。印象に残っているのが、業界のインフルエンサー的な方がChatworkへの要望をつぶやかれているのを見て、僕が30分でシステムを直したところ、めちゃくちゃ驚かれてファンになってくださったことですね。事業責任者とプロダクトマネージャー、開発リーダーの三役をこなして自己完結できるから、何をするにも超早い(笑)。前のプロジェクトではいろいろな人の声を聞きすぎて迷走し、大失敗してしまったので、Chatworkに関しては完全に僕が一人で仕切ることを決めたんです。それが良い結果に繋がったのかと思います」

コンピューター好きの少年、競技ダンスとの出会いで人生が一変

兄の敏行さんと二人三脚で「Chatwork」を運営してきた山本さんですが、少年時代は趣味嗜好も対照的で、お互いにまったく相容れない存在だったのだとか。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「兄はスポーツができて社交的で女性にモテるし、遊びもバリバリこなすタイプ。対して僕は家でゲームばっかりしている絵に描いたようなオタクで、同じクラスにいたら絶対に友達になれないタイプです(笑)。僕は小学校3年生の時に、親から会社で使わなくなったシャープのX1というパソコンをもらって、プログラムやゲームなどに触れたのがコンピューターとの最初の出会いでした」

兄・敏行さんと。少年時代は正反対の趣味嗜好で、お互いにまったく相容れない存在でした

小学生にしてコンピューターへの扉を開いた山本さんは、急速に知識を深め、ゲームで遊ぶ側から作る側への興味を深めます。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「僕がパソコンに興味があることを知って、親がNECのPC98を買ってくれたんです。いろいろ触っていると、ゲームを作ることができるツールがあると分かり、やり始めたら、めちゃくちゃハマりました。それで僕が作った対戦ゲームを家に来た友人たちに遊んでもらい、戦っている様子を見て後でバランス調整をするという。このキャラ強すぎるのでちょっと弱めにしようみたいな(笑)。その中で、ゲームを作るにはプログラミングやデザイン、企画や作曲もできないといけないことが分かり、ものづくりの道に惹かれていくようになりました」

コンピューターへの造詣を深めた高校時代。夜通しでMMORPGに熱中したことも

高校生の頃には、インターネット上でプレイするMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム)が登場し、昼夜が逆転するほどにのめり込んだという山本さん。当時の様子からは日本のインターネット黎明期を象徴するようなエピソードも。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「『ウルティマオンライン』というゲームが大好きで、高校2年生の頃にドハマリしました。MMORPGの黎明期ということもあり、魔王を倒すとかではなく、ネット上の広大な空間でどう暮らすかをユーザーたちで模索していたんですけど、そのうちに他のプレイヤーを襲う”プレーヤーキル”という存在も出始めて倫理観の問題で大論争になったり、混沌とした空気感が面白かったです。当時はインターネットも電話回線の使用時間で課金されていたのですが、23時からはテレホーダイという料金均一の時間帯があって、学校から帰宅したら食事と仮眠をして朝の7時までずっとゲーム。授業中はほとんど寝ていたので、もうゲームの世界が自分にとっての現実でしたね(笑)

高校を卒業後、より専門的な知識を学ぶため、東京の電気通信大学に入学した山本さんでしたが、そこで出会ったのは、インドア派の生活とは間逆な体育会系のサークルでした。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「在学中は、ずっと競技ダンスの部活に打ち込んでいました。よく混同されるけど、社交ダンスはパーティー用のダンスで、競技ダンスは一定のルールに則ってトーナメントで勝ち抜くスポーツなんです。電気通信大学って国立大の中でも体力測定値が一番低いけど、競技ダンスの強さは全国1位で、それはなぜかというと日本で一番練習するから。運動が苦手な人達がめちゃめちゃロジカルに考えて練習し、勝ち続けているんです。僕は新入生歓迎コンパで誘われ、後日、練習の様子を見て、そのハードさに圧倒されたのですが、先輩もいい人だったので、そのまま入部。ダンスなんてやったことなかったし、本当に大変だったけど、4年間続ける価値はありましたね」

日本全国の大学の中でも圧倒的な実力を誇る電気通信大学の競技ダンス部。ロジカルな思考で構築された練習により、日本でもトップレベルの実力

ハードな練習ぶりに衝撃を受けた山本さんでしたが、競技ダンスの部活動を通して、現在の仕事にも通じる社会性を身に着けました。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「僕みたいな人とまともに喋れないオタクが、どんちゃん飲み会をやるような超体育会系な部活に入るのは、すごいカルチャーショックでした。上下関係に厳しい縦社会で、挨拶の仕方や、先輩のビールグラスが半分開いたらすぐに注ぐとか、礼儀作法などを徹底的に叩き込まれました。それに男女さまざまな部員がいたので、人間関係についてもしっかり学べましたね。実は、部活時代のダンスパートナーが自分の妻なんです。学生時代にオタクと体育会系をバランス良く経験できたのは、今の経営に活きていると思います。それがなかったら今、社長をやっていないでしょうね

厳しくも充実した4年間の部活動で、山本さんは上下関係などの社会性を学びました

兄弟タッグで起業し、2000年代初期のネット業界を開拓

子どもの頃はそりが合わない2人でしたが、仕事でお互いを補完することで兄弟仲が深まったといいます。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「兄は当初、父が経営する音楽スタジオを継がないかと言われ手伝っていたけど、実は、もともとそんなに音楽が好きじゃなかったんですね。それで自分でインターネットの仕事をやり始めると軌道に乗ったので、父に継げないと相談し、スタジオの裏の空き物件に事務所を構えました。僕は、まだ大学生だったのですが、エンジニアが必要ということで一緒にやらないかと声をかけてくれて。共同経営を始めてからは、兄がビジョンを出し、僕が形にするという役割分担がはっきりしたので、昔の対立が嘘のように仲良くなりましたね。兄はまた別でやりたいことができたのでChatworkを離れましたが、今も良い関係ですよ」

創業時は、父親が経営するスタジオを間借りしていたEC Studio。しばらくした後、自宅裏の空き物件へと移転し事務所を構えます

Chatwork株式会社の前身となるEC Studioは順調に業績を伸ばしていましたが、卒業のタイミングで山本さんは別の会社への就職を決意します。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「本当の開発企業で働きたいという夢は昔からあったんです。EC Studioの取引先の中の一つが、副業を認めてくれるという当時では珍しい会社で、お誘いもいただいたので、働かせてもらうことに。本当は3年は勤めたかったけど、兄がEC Studioを法人化させるから戻ってきてくれと言われ、結局1年で退社することになって。実は現在、弊社の取締役副社長COOの山口は、その時の直属の上司なんです。僕が会社を去るタイミングで、『うちの会社に入ってください!』と口説き倒して来ていただきました

時は2000年代初頭。未知の領域であったインターネットを開拓する感覚は、MMORPGの世界を模索していた高校時代に似た感覚がありました。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「2000年代のインターネットビジネスって、学生でも制作会社を立ち上げて戦える市場だったんです。でも、日本って製造業が強かったので、インターネットを知らない人からは『あんなものはた虚業だ!』と言われ、結構叩かれましたね。それが次第に金融や実体経済に影響を及ぼすことが分かってきたので、急速に見られ方が変わっていきました。企業の人達も学生だからといって馬鹿にせず、むしろ教えてくれというスタンスだったんです。やったらやっただけ稼げるという、ビジネスとしてまっさらな企業環境が面白かったです」

ものづくりにこだわる将来のビジョン

現在、「Chatwork」がビジネスシェアで業績を伸ばす中、次に思い描くビジョンとは?

山本正喜さん(以下:山本さん)

「現在、日本でのビジネスチャットの普及率が14%(※)ぐらい。残りの8割にもシェアを広げ、ビジネスチャットをコミュニケーションツールとして当たり前の存在にしたいですね。そして、その中でChatworkは2024年に中小企業のビジネスチャットのナンバーワンになるという目標を掲げています。それが実現したら、あらゆるビジネスの起点となるよう、決済をはじめ、さまざまな機能を持ったスーパーアプリとしてのプラットフォーム作りを長期構想で実現させたい。今年の6月に中小企業に強いクラウドストレージ事業を連結子会社化したので、それもChatworkと連携させられないかなと考えています」

(※ Chatwork株式会社依頼による第三者機関調べ、n=30,000)

Chatwork株式会社のオフィス内の様子。固定概念にとらわれない山本さんのスタンスがスタッフにも受け継がれています

個人的な展望では、フロンティア精神溢れる山本さんらしい楽しみも。

山本正喜さん(以下:山本さん)

「僕が経営の方に近づいたことで、こだわりのあるものづくりから若干遠ざかっているので、そういった取り組みをしている人や会社を積極的に応援できればと考えています。最近、半分は仕事、半分はプライベートみたいな感覚で、いろいろなスタートアップ企業に出資していて、今はそれがおもしろいですね。これから伸びていきそうな企業を応援することは、社会貢献と同時に、その業種がどう育っていくのか見守る楽しみもあります。今、子どもがまだ小さいとのでプライベートな時間を持つことが難しいのですが、落ち着いたら溜まりに溜まった積みゲー(プレイしていないゲーム)もなんとかこなしていきたいです(笑)」

社の代表であると同時にエンジニア、クリエイターとしての視点を持ち続けている山本さん

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STUDIO YOU

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山本さんの父親が経営する音楽スタジオ。9室のリハーサルスタジオ、レコーディング、マスタリング設備を備え、国内外のトップスタジオと同等の機材をリーズナブルに使用できる。音楽教室や機材レンタルの事業も行っている。

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住所/大阪府吹田市内本町2-22-3

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