おばちゃん&自腹フェスで独立。ディープ関西の魅力を映像で表現

株式会社DADAN代表 | 日座裕介

ユーモアあふれる映像作品やイベントプロデュース、企業ブランディングなど、さまざまなジャンルで頭角を現している株式会社DADAN。その代表を務める日座裕介さんのバイタリティあふれるワークスタイルには、東京出身だからこそ感じる関西へのリスペクトが込められていました。

日座裕介

株式会社DADAN代表 | 日座裕介

ひざゆうすけ/1978年生まれ。高校卒業後、広告写真家である吉村則人氏・橋本祐治氏に師事し、早稲田大学では映画監督・原一男氏のもとで映像を学ぶ。CM制作会社TYOでは大手自動車メーカーの制作を手掛け、日本医師会のCMが数々の賞を受賞する。2008年に電通関西支社に移籍し、任天堂のCMをはじめイベントプロデュースなども手掛ける。2018年に独立し、株式会社DADANを設立。映像だけにとどまらず、ブランディングや芸能、グラフィックなど幅広い分野で個性を発揮している。

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輝かしいキャリアにピリオドを打ち、憧れの地・大阪へ

映画、テレビ、WEBと、映像表現の可能性は近年、加速的に新たな可能性を広げています。スマートフォンの普及により、鑑賞だけでなく、作品制作も手軽に行えるようになったことから、新世代のクリエーターも急増。伝統的な手法と革新的な技術が混在する現在は、まさに映像表現の過渡期と言える時代でしょう。

 

大阪を拠点にユニークなCMやWEB動画を世に送り出している株式会社DADANの代表・日座裕介さんは、東京で映像制作のキャリアを積んだ後、大手広告代理店である電通関西支社(以下、電通関西)に転職。かねてから憧れていた関西のCM製作に携わるという目標が関西移住を決断するきっかけとなりました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

関西に移住して13年。最初は言葉やカルチャーの壁に苦労しましたが、持ち前の明るさで徐々に馴染んでいきました

「大阪に来るまではTYOという映像制作会社で、プロダクションマネージャーというスタッフやスケジュール、予算を管理する仕事をしていました。当時はリーマンショック前で広告業界も羽振りが良く、高価な35ミリフィルムをバンバン回したり、海外ロケにもしょっちゅう行くなど、大規模なCM製作に僕も刺激的を感じていました。ただ、それも5年続けていると、自分の中でやりきった気持ちと、マネージメントではなく作る側=クリエイティブディレクターになりたいという気持ちが芽生えてきて。そんな時、ちょうど電通関西のコピーライターとプランナーの採用募集を見つけたんです」

自らの作家性を開花させる場所を求めていた日座さんにとって電通関西の求人は、まさに渡りに船でした。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「電通関西はKINCHOや関西電気保安協会など、ガラパゴス的な立ち位置で面白いCMをたくさん作っていて、僕も昔から大好きだったんです。それまで僕が携わっていたCMは、カッコいい雰囲気を押し出す、イメージ重視のような作風が中心でした。対象的に電通関西のCMは、ボーッと見ていると頭を殴られたような衝撃があり、否が応でも記憶に焼き付けられる。作りは安いし有名な人も出ていないのに、これは何なんだ?と思っているうちに、どんどんそっちに憧れるようになって」

映画「となりの肯定ペンギン」メイキングシーンより、撮影中の一コマ。関西のユーモラスで個性的なCMは日座さんの作家性に大きな影響を与えました

入社試験に臨んだ日座さんは、みごと難関をクリアし、電通関西に入社。しかし、それは挫折の日々の始まりでもありました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「合格が決まった時は、初めて東京を離れて関西に住むということもあり、ものすごくテンションが上りました。製作会社のプロダクションマネージャーが電通に転職なんて普通は考えられないので、TYOのみんなも盛大に送り出してくれて。ただ、電通関西には100人ぐらいのクリエイターがいて、そんな中で外様の自分がどうやって存在感を発揮すれば良いのかが全然分からなかった。僕もそれを悟られたくなかったから、誰かに頼ることができなかった。当然、仕事でもプレゼンで負け続ける日々で、最初の数年は本当に暗黒期でしたね」

負のスパイラルに陥りノイローゼのような状態になっていた日座さんでしたが、予想もしない方法で長い闇を抜け出します。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「東京にいたときから『ヒザフェス』という自分がトリを飾るための音楽イベントを主催していたんですけど、このフェスを大阪でやろうと。ただのサラリーマンが自腹でフェスを開催するってめちゃくちゃバカバカしいし、これならみんな僕のことを知ってくれるんじゃないかと思って。バーベキューでよく食べていた岩手県釜石市のなじみのホタテ養殖業者が東日本大震災で被災し、その復興チャリティーが目的だったので新聞やラジオ、テレビも積極的に取り上げてくれました。最終的に服部緑地野外音楽堂に600人のお客さんを集めることができ、またたく間に社内で『あの日座ってやつは何者だ!』となって。それを機にお仕事でもたくさん声をかけてもらえるようになりました」

2012年、大阪・服部緑地野外音楽堂での「ヒザフェス」。600人もの集客を記録し、またたく間に電通関西の社内に日座さんの名が知れ渡りました

任天堂を中心に有名企業のCMを多数手がけ、順風満帆にキャリアを積み重ねていた日座さんでしたが、思わぬ事態により独立への道を歩むことになります。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「会社も業績を評価してくれるようになったことで、契約社員から正社員になるための試験を受けることになったんです。『業績もあるし、局長も推薦文を書いてくれている。筆記試験もお前なら絶対に通るから』と言われていたのに、想像以上に筆記が悪く、落ちてしまったんです(笑)。周囲も呆然としていたけど、もうこうなったら、他の代理店に行くなんて考えられないし、独立しかないだろうと。自由にやってみてダメだったらまた東京に帰ろうと思い、2013年に電通関西を退社してフリーランスになりました」

裸一貫での船出に不安もありましたが、すでにさまざまな仕事で名を馳せていたことから、蓋を開けてみれば多忙な日々が待っていました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「独立にあたって、僕の手元にあったのは、ヒザフェスと、当時、起ち上げたばかりのおばちゃん達によるアイドルグループ『オバチャーン』だけ(笑)。でも、ありがたいことにヒザフェスで名前を覚えてくださった方々が、独立したことを聞きつけて、クリエイティブディレクターやコピーライターのお仕事などを振ってくださって。それから2018年に株式会社DADANを設立。最近では観光誘致など地方創生のお仕事もさせてもらうようになってきたのですが、今後もDADANでは、クリエイティブにまつわるお仕事なら何でも受けさせていただきたいと思っています」

日座裕介さん(以下:日座さん)

エリート校のはみだし者から映像業界のトップマネージャーに

東京の下町、品川区大井町で生まれ育った日座さんは、高校生の頃から映像に興味を持ち始め、劇場通いを続けるうちに映画の世界に没入します。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「日比谷高校という東京都内の公立ではトップの進学校に通っていたのですが、周りが頭良すぎて勉強についていけなくなっちゃったんです。それでドロップアウトして連日、映画館に入り浸り。当時、1990年代中頃はミニシアターがブームで、アップリンクやユーロスペースといった劇場でイギリス、フランス、ドイツなんかのカルト映画を貪るように見ていました。やがて自分でも映像を撮るようになるのですが、校内で勉強ができるやつ、スポーツができるやつ、見た目がかっこいいやつなどがいる中、映像をやっているやつがいなかったのも理由の一つです(笑)」

高校時代に触れたカルト映画やインディーズ映画で映像製作に憧れを抱き、自ら8ミリカメラを手に撮影を行うように

学園祭で短編映画の監督をするなど、映像制作にのめり込んでいった日座さんは、高校卒業のタイミングで後の人生を決定づける大きな出会いを果たします。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「将来はぼんやりと映像作家か写真家になりたいなんて思っていたのですが、受験勉強もろくにしていなかったので、1年浪人してそっち系の大学を目指すことにしました。その時、広告業界でカメラマンをしている友人のおじがアシスタントを探していて僕に声がかかり、予備校に通いながら働かせてもらうことになりました。その方のお仕事を間近で見たことが広告業界に興味を持つようになったきっかけですね。大学は、アシスタントをしながら通えるところが良いと思って、映画や文藝、社会学などを幅広く学べる早稲田大学第二文学部の夜間に入学しました」

一流カメラマンの元での修行経験もある日座さん。写真で培った技術が映像制作にも生かされています

大学では、ドキュメンタリー映画の巨匠として知られる原一男監督に師事。作品同様、熱のこもった指導に日座さんも大いに影響を受けました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「原先生はもともと写真家として活動されていたので、構図を作ったり、写真の中に物語を閉じ込めたり、撮る題材にジャーナリズムを追い求めたりという考え方が、まさに自分のやりたいことと合致していました。授業で印象深かったのは、実習になると先生自らカメラを回されること。学生にシナリオを書かせて、出演させて、撮影は絶対に自分がやるという(笑)。とにかく映像が好きで、『アバンギャルドなジャーナリズムで、カメラを持って被写体に暴力をしに行く』というモットーを地で行かれる方でしたね」

撮影中の一コマ。大学時代に映画監督・原一男氏の教えを受け、現在も自ら率先してカメラを手にするなど現場主義を貫いています

4年間の大学生活も終盤に差し掛かり、日座さんは再び将来の岐路について考えることに。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「カメラアシスタントの仕事が忙しくなってきて、雑誌のちょっとした撮影なんかだと僕が担当するようになってきて、もう就職活動なんかしなくてもやっていけるだろうと思っていたんです。完全に調子に乗っていましたね(笑)。でも、写真の師匠から『この先、作家になるにせよ、映像業界はチームワークの仕事だし予算も大きいので、新人がいきなり映像を撮れるような仕事はない。まずは社会に出て業界の基礎を学べ』と教えられ、師匠の紹介で、当時、CM業界で勢いがあったTYOにアルバイトで潜り込みました」

正社員として入社した同期と2ヶ月遅れのアルバイトで入った日座さんでは待遇面で大きな格差が生じましたが、このことが仕事に対する情熱に火をつけました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「映像制作経験の浅い社員にあれこれ指示されるのが本当に悔しくかったんです。それで『絶対に2年でこの人たちを追い抜こう』と反骨精神が芽生え、めちゃくちゃ仕事に没頭しました。僕、ずっとカメラアシスタントをやっていたから誰よりも動きが良くて、どの現場でも『お前、新人バイトなのに、なんでそんなに動けるんだ?』って言われたり、早稲田卒でアルバイトというのが珍しくて、みなさんに顔を覚えてもらって、結果的に1年で正社員に。それからアシスタントを経て最終的にチーフプロダクションマネージャーになり、5年務めた後に電通関西に移籍しました」

おばちゃん、マネキンからお寺まで。個性が炸裂する日座ワールド

個性的な仕事ぶりで世間に話題を振りまいている日座さんの代表的な仕事の紹介を。まずは、先述の通り、大阪のおばちゃんたちで結成されたアイドルグループ「オバチャーン」について。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「オバチャーンは、僕がもともと女の子のアイドルグループが好きだったので、自分でアイドル作ってヒザフェスに出そう!と思ったのが結成のきっかけ。どんなアイドルにしようかと考えた結果、大阪といえば、やっぱりおばちゃんだろうと。大阪に引っ越してきた当初、パーマで、ヒョウ柄の服を着たおばちゃんがそこら中に歩いている光景を想像していたけど、実際にはそんな人はほとんどおらず、これはやばい!保護しなきゃと思ったんです。テーマパーク来たのにマスコットキャラがいないじゃん! みたいな。実際、大阪に来る人って、おばちゃんから飴ちゃんもらったり、『元気出しや~』って励ましてもらうことを楽しみにしている人も絶対にいるはずなんです」

「ところが地元民は、それを悪い文化のように捉えているフシがある。でも、おばちゃんたちのイメージを、『ガミガミうるさいのではなく元気でパワフル』『おせっかいじゃなくて世話好き』と、全部ポジティブに捉えようと。そんなメッセージをラップにしてYouTubeに流したら、3ヶ月ほどで100万回再生されて。レコード会社からも声をかけていただきメジャーデビューを果たしたのですが、オバチャーンは密なコミュニケーションが売りなので(笑)、今はどうしても休まざるを得なくて。メンバーみんなコロナ明けの再開を目指してトレーニングに励んでいます」

オバチャーンで培ったアイドルプロデュースの経験を予想外な形で発展させたのが、兵庫県朝来市・生野銀山の地下アイドル「GINZAN BOYZ」。史跡である生野銀山に展示されている鉱夫のマネキンをアイドルに仕立て、人気メンバーを決定する総選挙も行うなど、人間のアイドル顔負けの活動で話題を呼びました。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「GINZAN BOYZは自治体の依頼で始まったシティプロモーションのプロジェクト。プランニングは電通関西の後輩が担当したんですけど、マネキンでアイドルを作るというアイデアを聞いた時に、『おもしろい、絶対にいける!』と思いました。そこに困っている自治体の起死回生という物語が加わることでメディアも取り上げてくれるし、みんなハッピーになれる。しかもタレントはマネキンだからお金もかからないし、契約にも縛られない(笑)。それでマネキン全員にキャラ付けをして、歌の中に印象的なセリフやイケボイスを散りばめるなど、いろいろな仕掛けを施したらテレビでも取り上げていただけて。どん底だった生野銀山の売上もV字回復を果たしました。彼らは普段、生野銀山の地下にいるので、まさに“今、会えるアイドル”ですね(笑)」

そして、大阪・南堀江の萬福寺では、映像作家のためのワークショップ「クリエイティブ寺子屋」を開催。さらに同寺内のカフェのプロデュースも手掛けています。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「電通関西で働いていた時に萬福寺のすぐ裏に住んでいたことで住職とご縁ができ、『檀家が少なくなってお寺のコミュ二ケーションが希薄になっているけど、どうしたら良い?』と相談を受けたんです。そこで、お寺に対して感じる敷居の高さを下げるには、なにか常設されているものがあるといいではと思い、庭を見ながらお茶を飲めるカフェを提案しました。僕の妻が元パティシエで、『子育て中だけど時間はあるから、言ったら手伝うと思いますよ』と伝えたら、それが実現して。今は『寺カフェ茶庭』という店名で住職の娘さんが経営して、妻が店長をしています」

映像業界の最前線で活躍するクリエイターの話を聞くことができる「クリエイティブ寺子屋」。毎回100人もの受講生が詰めかけます

「『クリエイティブ寺子屋』は、寺の2階に普段あまり使われていないスペースがあるということで、イベントをやってみようと企画したのが始まり。受講者は年齢もさまざまで、実際に動画の仕事をしている人から、まったくの初心者まで、毎回、多種多様な人たちが来ています。動画制作のノウハウを知りたいというニーズに答える一方で、僕や講師で来てくれるクリエイターたちが集まって、たまにはお互いを褒め合うような場が必要だよね、というのも設立の理由です(笑)。こちらもコロナ禍で一時的にオンラインに切り替えていますが、また元通りのスタイルで再開したいですね」

今後の展望について、現在、注目されつつある新たな映像分野での挑戦に意欲を傾けています。

日座裕介さん(以下:日座さん)

「ストーリーものやドラマを作りたいなと思っています。ただ、長編映画を撮ったことがない僕では、真正面からその世界に入っていくのは難しい。最近、広告がコンテンツ化してきて、15秒や30秒のCMではなく、商品や企業の宣伝にショートフィルムや映画が求められつつあるのですが、それなら映画をやりたかった自分と、広告をずっとやってきた自分が繋がれる。アドコンテンツ、ブランドムービーと言われるこのジャンルなら自分がやってきたことを出せるんじゃないかと思って、今はシナリオの勉強に打ち込んでいます」

現在、DADANでの仕事だけでなく、大阪芸術大学で講師も務める日座さん。多忙ながら、学生たちとのコミュニケーションから大いに刺激を受けているそう

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萬福寺

萬福寺

浄土真宗本願寺派(西)の寺で、若者たちが集まる南堀江にあることから、音楽ライブやワークショップなどのイベントを不定期で開催している。併設の「カフェ茶庭」では、庭の景色を眺めながら抹茶のスイーツや宇治煎茶などを味わうことができる。

萬福寺

住所/大阪市西区南堀江1-14-23

電話番号/06-6531-1328(寺カフェ茶庭は06-6543-8125)

寺カフェ茶庭 営業時間/木・金13:00〜17:00、土は12:00〜17:00

寺カフェ茶庭 定休日/日・月・火・水休