SNSで16万人のフォロワーに発信。新時代のギャグ漫画を切り開く

ギャグ漫画家 | 石塚大介

プロを目指していた野球少年が、フォロワー16万人を抱える人気ギャグ漫画家に。石塚大介さんの意外すぎる転身の背景には、SNSの台頭の他に、幼い頃に衝撃を受けたという日本を代表するギャグ漫画との出会い、そして、背水の陣で臨んだ大学時代の漫画修行など、血のにじむような努力の積み重ねがありました。

石塚大介

ギャグ漫画家 | 石塚大介

いしづかだいすけ/1992年生まれ。小学生〜高校卒業まで野球に打ち込み、19歳からギャグ漫画家を志し、大阪芸術大学キャラクター造形学科に入学。2018年にWEBコミックサイト「comico」で漫画家デビュー。現在は活動の場をInstagramに移し、自身のアカウントで「がんばれ!田中みのるくん」を連載中。

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Instagram発の人気漫画「がんばれ!田中みのるくん」誕生秘話

インターネットの発達により、漫画というメディアも紙媒体とデジタルの両立が加速化している昨今。そんな状況下においても出版社への持ち込みや賞レースでの授賞がデビューへの最短距離という風潮は根強く残っており、漫画家を目指す多くの若者は日々、作品を世に出すための研鑽を積み重ねています。

 

近年では、SNSの台頭で出版社を経由せず、個人のアカウントから作品を発表する作家が急増。その中でもInstagramのアカウントで「がんばれ!田中みのるくん」を連載し、フォロワー数16万人という驚異の数字を打ち立てているのがギャグ漫画家の石塚大介さんです。「今の時代じゃなかったら無理だったかも…」という石塚さんの創作への取り組み、そして人気作誕生の秘密を伺いました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

今回のインタビューは大阪・阿倍野の「金魚カフェ」で行われました。レトロで個性的な店内に石塚さんも興味津々

石塚さんが自身のInstagramアカウントで「がんばれ!田中みのるくん」(以下、「田中みのるくん」)の掲載を開始したのは2018年5月。当時、WEB漫画サイトでの連載が終了し、次のステップを模索していたときに実業家・堀江貴文さんの言葉を目にしたことが作品誕生のキッカケとなりました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「自分の中で、これからはInstagramが来るんじゃないかと思い、作品を少しずつアップしたいたのですが、YouTubeで堀江さんが『今の漫画家を目指している子って、なんであんなに出版社ばっかり回っているんだろう。俺だったら毎日ネットにアップするのに』と話されているのを見て、『え、どういうこと!? なんで一生懸命描いているものをタダで見せるの? 出版社に持っていくしか道はないんじゃないの?』と思ったんですけど、自分で『田中みのるくん』をやるようになってフォロワーや作品を待ってくださる方が増え、企業からのお声がけなどもいただくようになってからは、ようやくその意味が分かってきました」

個性的なキャラクターたちが登場する「がんばれ!田中みのるくん」の世界。手描きの貴重な1枚

一度見たら忘れられない「田中みのるくん」の独特なタッチは、SNSを利用する若い世代を中心に浸透し、現在では芸能人やスポーツ選手など著名人にまでファンを持つように。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「フォロワーは、作品をコツコツ描いてアップし続けていたら少しずつ増えていきました。波に乗った時は1日に500人ぐらい増えることもありましたけど、一気に数万人なんてことはなかったですね。毎日、投稿するたびに、どの内容だと『いいね』が増えるかずっと研究して、最初は時事ネタなんかを扱って結構数字が伸びたんですけど、フォロワー7万人ぐらいでピタッと止まって。しばらくは何をしてもダメだったんですけど、今のような小学生や中学生のあるあるネタに焦点を定めたところ現在の16万人まで増えました」

石塚大介さん(以下:石塚さん)

普段の作業はノートPCとペンタブレットで

「田中みのるくん」の連載の中で、時折現れる企業タイアップ。出版社での連載を行っていた頃ではあり得なかったこのスタイルで、石塚さんは漫画家でありながらインフルエンサーというポジションを確立します。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「以前からたまにお話はあったのですが、フォロワーが10万人を越えたぐらいから一気に増えました。最初は、ギャランティをいただけて『アルバイト数日休める。ラッキー!』ぐらいだったんですけど、今は、おかげさまでバイト生活を脱することができました。他にもインスタライブやLINEスタンプなど、もう自分でできることはなんでもやっています(笑)。TikTokもやり始めたので、もっと追求していきたいですね。僕、たぶんSNSがある今の時代だからこそ、漫画家としてやれているんだろうなぁ…。どうやら運だけはあるようです(笑)」

野球に捧げた少年時代からギャグ漫画の世界へ

少年時代の石塚さんは、意外なことに漫画にほとんど興味がなく、体育会系まっしぐらな日々を送っていました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「もともと親が好きだったこともあり、小学1年生からソフトボールをやり始めたんです。3年生から野球に転向して地元の少年チームに入り、高校卒業まで10年間やりました。平日はもちろん、土日も毎日練習。上手くなっている実感もあって、中学、高校と地元の奈良県の大会で優勝したこともあります。プロになりたいとも思いましたが、うまい人を見るたび才能の差を感じ、自分には無理だということを痛感しました。たとえ甲子園に行っても、その中の一握りしかプロになれないし、それでも毎年、各チームで10人ぐらい脱落してしまう厳しい世界なので」

少年時代の10年間を捧げた野球は、石塚さんの人生やアイデンティティに大きな影響を与えました

野球生活にピリオドを打った石塚さんは、その後の行く道について模索し、人生の転機とも言える大きな決断を行います。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「通っていた高校が地元でも有数の進学校だったので、自分も国公立の大学を目指して勉強しようと思ったんです。ただ、10年間を捧げた野球が終わってしまった虚無感は思った以上に大きくて、勉強にも身が入らず、結局、受験は完全に失敗。その後、1年間の浪人生活で初めて人生について考えるようになりました。野球というレールから外れてまっさらな状態になったことで、もう漫画家以外にやりたいことはないと思い、締切直前だった大阪芸術大学のキャラクター造形学科を受験しました」

石塚さんに漫画家という道を選ばせた要因には、少年時代に読んだ、ある作品の影響がありました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「子どもの頃に読んだ数少ない漫画の中で、浜岡賢次先生の『浦安鉄筋家族』だけは本当に大好きで。友人の家で初めて読んだときには体に電撃が走りました。あとは漫☆画太郎先生にも大きく影響を受けましたね。ただ、当時は漫画家なんてあまりにもかけ離れた世界だと思っていたので、目指すということは考えもしませんでした。大阪芸術大学の受験もセンター試験だけという、当時、限定的に行われていた方式だったのですが、自分の絵の下手さは十分わかっていたので、実技があったら確実に落ちていたと思います(笑)」

石塚さんがギャグ漫画家を目指すきっかけとなった名作「浦安鉄筋家族」

無事、大学に合格した石塚さんでしたが、漫画家への夢を実現させるため、若者らしいキャンパスライフには見向きもせず、入学早々、デビューに向けて全力で漫画と向き合います。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「絶対に在学中にデビューするという目標を掲げていたのと、浪人で1年遅れて入っているので、めちゃくちゃ焦りを感じていたんです。キャラクター造形学科が素晴らしいのは、先生が生徒の適正をしっかり見てくれていること。僕の場合、周りが萌系の絵ばかりの中で一人だけハゲたおっちゃんを一生懸命描いていたら先生が立ち止まって、『君、その絵でいくのか?』と聞かれたので、はいと答えたら『それ、絶対に曲げるなよ!』と言ってくださって。その先生が、実はホラー漫画の巨匠である日野日出志先生なのですが、今でも授業で僕のことを話してくださっているようで、本当に光栄です」

WEBコミック連載時に使われていた自画像は、現在とは異なるタッチが印象的。「不気味な絵ばかり描いていました(笑)」

デビューに向けて出版社への応募を繰り返すもなかなか結果が出ない日々。それでも自らの信念を貫き、作品作りを続けました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「毎年、京都・大阪で、全ての出版社の漫画編集部が集まる出張編集部という催しがあって、そこに持って行くんですけど、ほぼ全部の会社から『この絵では絶対に無理』と言われるんです(笑)。そんな中でも一部の人からの激励や『自分は絶対に何か持っているはず』という思いだけを頼りに頑張っていました。そうしてようやく4年生の卒業ギリギリのタイミングで、当時、始まったばかりのWEB漫画サイトでの連載が決定。これが決まってなかったら僕、どうしていたんだろう…。本当に人生かけてやっていたので」

ひたすら創作に打ち込み、デビューのきっかけを模索した大学時代の4年間。個性を重視する講師陣に見守られながら徐々に才能を開花させていきました

かくして掴んだ漫画家デビュー。週刊連載に加えWEBに合わせてデジタルでの作画など、初めてづくしの環境に、最初は右往左往しました。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「それまでGペンにケント紙と、アナログにこだわって描いていたので、最初、デジタル化には抵抗がありました。でも続けているうちに自分の持ち味を出せるようになりましたね。とてもやりがいのあるお仕事だったんですけど、すべての作業を一人でやっていたので、ちょっとこっちの想像を上回る忙しさになってしまって。描き続けていると、あるタイミングからランナーズハイのようなゾーンに入るんですけど、体がついていけず、結局、1年で連載が終わって、そこから『がんばれ!田中みのるくん』を始めるまでは悶々としていましたね」

やりたいことは無限に。30代への挑戦

SNSを主戦場とする漫画家として精力的な活動を展開する石塚さんですが、自身では「まだまだ発展途上」とのこと。もうすぐ迎える30代を前に、大きな飛躍を遂げるための準備を進めています。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「やりたいことがありすぎて、まだ何も成し遂げられていないです。20代で地盤を作って30代で爆発させ、お金持ちになっている予定だったのに(笑)。周りにもすごい人がたくさんいるので、めちゃ焦っていますよ。とりあえず日本のメディアにはひと通り全部出たいし、コロナ禍が落ち着いたら海外で個展もしたい。フォロワーも100万人くらいは越えて田中みのるくんを誰もが知るキャラクターに成長させたいですね」

石塚さん自らプロデュースを手掛ける「がんばれ!田中みのるくん」のアパレル商品。ご本人の公式ストアから購入が可能です

今後の展望について、WEB漫画の定番として単行本化など? と思えば意外な回答が。

石塚大介さん(以下:石塚さん)

「実は単行本化は全然、興味がないんです。というか、初期は結構時事ネタを扱っているから、むしろできない(笑)。今は、それよりもアパレルやグッズの展開を頑張りたいなと思っています。最近は、たまに似顔絵屋もやっていて、一人2〜3分、1000円で描くんですけど、先日、京都でやったときに150人もの方に来ていただけて。嬉しかったのですが、体力的には野球部の時よりきつかったです(笑)。大変なこともあるけど、もともと一人で仕事がしたかったので、自分ですべてをコントロールできている今の状態は本当に楽しいし、ギャグ漫画家になって良かったなと心から思います」

もうすぐ迎える30代に向けて期待をふくらませる石塚さん

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金魚カフェ

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築100年を超える古民家を利用したカフェ。江戸川乱歩や妖怪、大正モダンなど、個性的なモチーフで彩られた店内は、不思議な居心地を誘う。金魚鉢型のグラスに入ったフォトジェニックなドリンクも人気

金魚カフェ

住所/大阪市阿倍野区阪南町1丁目52−5

電話番号/06-6622-0021

営業時間/13:00〜19:00

定休日/火・水

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