古典的な技術の中に生まれる物語。人生を見つめ直したことでたどり着いた写真アートの世界

古典写真作家 | 若林久未来

カラーでは表現し得ない物語性や奥深さが生まれることがあるモノクロームやセピアの写真。19世紀の古典的なプリント技術を現代に受け継ぐ写真家・若林久未来さんは、現代の技術も取り込みながら、新たな時代の中でこそ生まれる唯一無二の作品を制作し続けています。

若林久未来

古典写真作家 | 若林久未来

わかばやしくみこ/人材派遣会社の勤務を経て2007年、大阪芸術大学写真学科に入学。ヴァンダイクブラウン・プリント、ガラス湿版プリントなどの古典写真の技法を学び、世界的にも希少なクラシカルフォトグラフの写真作家として活動する。2014年には「芦屋写真展 -Road to Paris-」でグランプリを受賞。2018年・2021年「サロン・ドートンヌ(Salon d'automne)」入選。現在は、大阪・住之江のATCビルでclassical photograph®教室を開催している。韓国、フランス、ロシアなど海外からの招致による作品展示も多数。

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180年の時を越え、語りかけてくる古典プリントの創造性

約180年前、イギリスで開発された写真技法“ヴァンダイクブラウン・プリント”そして“ガラス湿板”。1枚の写真を現像するために想像を絶する手間と時間がかけられたクラシカルフォトグラフ、古典プリントと呼ばれるこれらの技法は、デジタルカメラやスマートフォンで気軽に撮影ができる現代のカメラとは対象的に、昔の人々にとって写真撮影が一生ものの体験であったことを伺わせます。

大阪で活動する古典写真作家・若林久未来さんは、独自で研究と作品制作を行うことで時代の波の中に消えかけていた古典的な撮影・プリント技法の継承に務めています。

若林久未来さん(以下:若林さん)

若林さんのスクールがある大阪・南港ATCにて。企業のラボやアーティストが集うインキュベーション施設の一角に事務所を構えています

若林さんがクラシカルフォトグラフで最初に出会ったヴァンダイクブラウン・プリントは、印画紙に薬品を塗布しネガを紫外線で焼き付け、乾燥までのプロセスをすべて手作業で行う技法。銀によって生じるセピアの色味が独特の風情を醸し出します。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「ヴァンダイクブラウン・プリントは、昔、学習雑誌の付録などに付いていた日光写真のような仕組みで、フォトグラム等カメラがなくても制作も可能です。初めてこの技法を知ったときは、セピアの色味が素晴らしくて本当に感動し、自分で薬の調合を変えたり、印画紙への塗り方を変えたり、試行錯誤を重ねながら作品制作を続けてきました。コンタクトプリントですのであくまでネガフィルムの大きさしか制作出来ない技法なので引き伸ばしなどは出来ません。ただ、あくまで小さいものしか撮れない技法なので引き伸ばしなどは出来ず、私が自分の作品を作るときや生徒さんに教える場合はデジタルカメラで撮影したデータをネガとして使用しています。手塗り作業で印画するので焼き増ししても同じものは絶対に出来ず、まさに世界で1枚だけの作品を作ることが出来ます。私はそこに金箔などを貼り付けることでオリジナリティを出しています」

14歳から尼として仏門に入った清月住職の姿を捉えた「Beautiful Ms.清月」。この作品で「芦屋写真展-Road to Paris-」グランプリを受賞したことにより海外展示への道が開けました

ヴァンダイクブラウン・プリントを研究していた若林さんが、更に高い技術の作品制作を実現させるためにたどり着いたのが、ガラス湿板。日本人にとっては歴史の教科書などでよく見られる坂本龍馬の肖像写真を撮影された技法と聞けば一気に身近に感じられるのではないでしょうか。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「ガラス湿板はコロジオンという薬剤をガラス板に塗り、硝酸銀を化合させた感光材をフォルダに入れて撮影するのですが、室温・水温・薬品の塗り具合など作業条件によって仕上がりが全然が変わってくるというデリケートな技法です。撮影には特殊な木製の大型カメラを使用し、シャッターを切ったら像を焼き付けるため、モデルは8秒間静止しなかったり、ネガが出来上がるまで3ヶ月の時間を要するなど、今の時代では考えられない手間と時間がかかるのですが、現代のカメラにはない独特の奥深い色味を表現できます。ただ、技術的にかなり難しいためスクールなどで一般的に普及させるのは難しいかなと思っています」

ガラス湿板の作品の中でも高い評価を得た「銀婚式」。どこか映画のワンシーンのような物語性を感じさせます。パリの「サロン・ドートンヌ展(Salon d'automne)」入賞作品

現在、写真の世界においては少数派であるクラシカルフォト、古典プリント。あえて利便性とは対極の位置にある表現技法で困難に立ち向かう背景には若林さんの作品制作に対するこだわりがありました。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「私自身がやりだすととことんのめり込む性分で、難しいからこそ、作品ができあがった時の達成感や充実感を感じられるというのはあります。私は作品に物語性を持たせることをモットーにしているので、ただ古典プリントで写すという技術的な面以外のところにも大きく時間を割いています。今、世界全体の写真人口で見てもガラス湿板に携わっている人って1%にも満たないぐらいなのですが、私がこうやって作品を制作することで少しでも知ってもらえたらありがたいですね」

ガラス湿板の撮影に使用される木製の大型カメラ。世界的にも数少ない貴重なもので、時代に応じて少しずつ改良を加えながら使用されています

行き詰まった現状を打ち破るためアートの道へ

もともと芸術とは縁が薄かったという若林さん。クラシカルフォトグラフの世界に出会うまでは会社員として日々の業務に邁進していました。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「人材派遣で管理職の仕事をしていたのですが、業務が忙しくなってくる中で、部下がうつ病を発症してしまったんです。日に日に変わっていく部下を見て、なんとか通常通りの業務に戻れるよう頑張っていたのですが、ある日、上司から、『これ以上、待てないので辞めるように勧めてください』と言われてしまって。ものすごく葛藤したのですが、私一人では状況を変えることが出来ず、その年の年末に解雇通告をしました。そうしたら今度は私のほうが、ちょっと心を病んでしまったんですね。私もこれ以上、このままで働いていたら自分を失ってしまう、これまでとはまったく違うことをしたいと思い、いろいろ模索した結果、大阪芸術大学の通信教育学部にたどり着いたんです」

大阪芸術大学写真学科の織作峰子学科長と。写真の知識がほぼゼロという状態で大阪芸術大学の通信制に入学した若林さんは、短期間でみるみるうちに基本的な技術を習得しました

当初は映像学科への入学を考えていた若林さんですが、日々ブラッシュアップされていく機材や技術に翻弄されることを懸念して、写真学科へと方向転換します。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「他の学生さんは、もうセミプロみたいな人ばっかりなんですけど、当時の私は、知識も経験もまったくないド素人。カメラのフィルムも副手の人に頼んで入れてもらっていたぐらいで(笑)。最初はついていくだけで必死だったのが、そのうちグループ展などもできるぐらいにはなってきたんですけど、ある時、他学科の生徒さんから『写真は何枚も焼き増しできるし安くついていいよね』と言われて、とても悔しい思いをしたんですね。そこで写真でも一点物の作品って作ることが出来ないのかなと思っていたら、当時、准教授をされていた里博文先生が、『ヴァンダイクブラウン・プリントをやってみようと思っている』と話されていたので志願して、私が第一号の生徒になりました。以後は、もうクラシカルフォトグラフ一本でやっています」

クラシカルフォトグラフの写真技術を学び始めた若林さん。制作に打ち込んでいく中で、作家として歩む決意に至ったきっかけは、大学の卒業制作作品に対する評価でした。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「癌で亡くなった父の遺品をテーマにしたんですけど、父は本当にきれい好きで、1個1個ていねいに整理された遺品を撮影して展示したんです。そうしたら見てくださった方がみなさん涙を流されて。私は普段、人の作品を見て泣くということがまったくなかったので、いったい、これはどういうことなのだろうと思って来場者の方に聞いてみたら『ここまで大事に思われているお父さんが羨ましい』と。自分としてはあまり深く考え込まないで作ったんですけど、それがこうやってたくさんの人が見て、何かしらの影響を与えるというのを見たら、自分はこのまま作家活動をしていった方が良いのかなと思うようになりました」

2011年度卒業制作学科賞受賞し、写真作家として歩むきっかけとなった卒業制作作品「As Time Goes By 父の遺品」より抜粋

海外での評価、そして現代美術とのコラボレーション

クラシカルフォトグラフの写真作家として歩み始めた若林さんの作品は、国内外で高い評価を獲得。韓国やロシア、フランス、カナダなどから展示の招致を受け、世界を股にかけた活躍を見せるようになります。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「私は全然、海外を視野に入れていたわけではなかったんですけど、里先が国際的な交流されていて、卒業してからでしたが『海外のフェスティバルに出展しないか?』と声をかけてくださったんです。そうしたら今度は、その作品を見た方が『ロシアに出品してみませんか?』と言ってくださって。私自身は人と人との付き合いは大事にはしていて、お誘いをいただいたものには、」よっぽどのことがない限り必ず参加することを心がけているのですが、本当にどこにチャンスが有るのかわからないものだなと思います。海外のお客様の反応は日本と全然違っていて、日本だとお家に飾れるぐらいのサイズが喜ばれるんですけど、フランスではガラス湿板写真のような小さい作品は話にならないとあしらわれました。まぁ、これは小さすぎて万引されるという問題も含めているのですが。そこで帰国後ガラス湿板写真を 判のプリントにも対応できる技術を東京の先生に相談し教 えていただき、さっそく習得。結果的にA2サイズのプリントまでできるようになり、それをロシアでの展示に持っていきました」

2019年に行われたロシア・エカテリンブルク・ウラル大学での招聘個展での1枚。海外の展示では、作品を前に来場者がお互いの意見をぶつけ合うこともよく見られるそう

芸術性の高さにかかわらず後継者が育たないことから、一時は風前の灯となっていたクラシカルフォトグラフ。現在、若林さんが率先してジャンルとしての確立を目指していますが、活動を開始した当初は、継承のための技術の見直しや、写真の世界での認知など、さまざまなハードルがありました。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「2014年に『芦屋写真展-Road to Paris-』でグランプリをいただいたんですけど、そのときに『これは写真じゃない』という声も上がるなど賛否両論あったみたいで。それだったら私が古典プリントで絵画と写真の間のような技法を確立し、団体を起ち上げてオリジナルの賞を作ればいいんじゃないかなと思い、2017年に“Classical photograph®”を商標登録に申請しました。これまで古典プリントの後継者が育たず廃れたのは、技術的に難しすぎるという問題があったんです。ガチガチの古典技法だけにこだわっていると面白みがなくなるし、伝承するなら、デジタルカメラ・スマートフォンなど今の技術も絡めていかないと絶対に伝わりません。私も時代に順応しながら手作りで仕上げる古典プリントの感動を多くの人に伝えたいと思っています」

ヴァンダイクブラウン・プリント現像の様子。完全な手作業により世界に1枚しかない味わい深い作品が生まれます

自身が第一人者となった今、若林さんは、現代美術とのコラボレーションやスクールの開講など、クラシカルフォトグラフ、古典プリントを後世に残すべく、さまざまな取り組みを行っています。

若林久未来さん(以下:若林さん)

「森村泰昌先生の私設ミュージアムの展示にあたり、キュレーターより技術協力の依頼がありました。実際にお会いしてお話させていただいたところ、私の作品や古典プリントに非常に興味を持っていただきました。こういった技術協力は初めてで、ましてや森村先生のような有名な方ともなるとプレッシャーに勝る、やりがいがありました。今後も別ジャンルの作家さんとの技術協力やコラボレーションは、ぜひやっていきたいです。もし今回、古典プリントに興味を持ってくださった方は、大阪・南港のATCで教室も行っています。ワンデイレッスンでは、こちらで用意した3枚のネガから1枚を選び、仕上げて持って帰っていただくのですが、本格的に受講したい方は、次回から自分で撮影したネガからプリントしていただけるので、ぜひ、お気軽に体験しに来てください」

現代美術家・森村泰昌さんの私設ミュージアムで作品「Silence 静寂  ゴッホ・モネ」(2021年「サロン・ドートンヌ」入賞)を展示。2021年5月〜7月に大阪・住之江のモリムラ@ミュージアムで開催された「森村泰昌|二重拘束の美学DOUBLE BIND GAME」にて展示されました

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Art Office K

Art Office K

19世紀の写真技術であるヴァンダイクブラウンプリントの技術を習得できるカリキュラムを用意。薬品の取り扱いから暗室を使用しての現像に至るまで丁寧な指導で学ぶことが出来る。国内や海外での展示を目標にしたコースも。

住所/大阪市住之江区南港北2-10-10ATCビルIM棟6F M-1-4A

電話/06-6622-7703、090-6064-0168

営業時間・料金/1日体験コース5,500円 その他のコース・料金は教室のサイトをご確認下さい

 

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