ありのままの自分でいい、ワークショップで創造性や自己肯定感を育成するクリエイティブ教育

アトリエe.f.t代表、DOBERMANボーカル | 吉田田タカシ

教育のあり方に変革が求められる中、創造性の開発やコミュニケーション能力の育成は、国を上げての急務と言われています。20年以上前からアトリエe.f.t.で既成の枠にとらわれない教育を実践してきた吉田田タカシさんは、現在もさまざまな人との出会いを重ね、心を育てるアートの可能性を追求し続けています。

吉田田タカシ

アトリエe.f.t代表、DOBERMANボーカル | 吉田田タカシ

よしだだたかし/1977年生まれ。1998年、大阪芸術大学在学中に美大受験の予備校としてアトリエe.f.t.を創業。同時にスカロックバンド・DOBERMAN(ドーベルマン)を結成し、関西のスカシーンを代表するバントとして大規模フェスへの出演や海外アーティストとも共演するなど、その名を全国に轟かせる。アトリエe.f.t.は徐々に青少年の創造性を育成する教育方針に転換し、2017年には生駒校を開校。一方で医療大学での講義や放課後デイサービスの開設なども行い、多岐にわたる活躍を見せている。

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自由を尊重するアトリエe.f.tの教育

人生における優先順位が、お金からヒトへと徐々に変化を見せるなど、従来の社会では少数派だった価値観が広く認知されるようになった昨今。教育のあり方にも学校だけにとどまらない多面性が求められ、そんな中で今、美術家で大阪を代表するスカバンド・DOBERMANのボーカル、吉田田タカシさんが代表を務めるアトリエe.f.t.が注目を集めています。大阪・玉造と奈良・生駒に教室を持つこのスクールでは、美術大学受験のための予備校として絵画技術を教える一方、「なぜ絵を描くのか、なぜ作品を作るのか」という原点に立ち返り、受講者たちの創造性を引き出すためのワークショップやアートイベントを開催。「たのしいにいのちがけ」という吉田田さんのモットーのもと「つくるを通していきるを学ぶ」という教育方針を実践しています。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「たのしいにいのちがけ」というスローガンで積極的な活動を展開する吉田田さん。「吉田田」の由来は20世紀初頭に起こったアート活動のダダイズムから

アトリエe.f.t.では、高校生を中心にした美大予備校のクラスの他、4歳から受講できる「こどもあとりえ」や、受験を目的としない人たちが学ぶ「アートスクール」など、さまざまなニーズに合わせたカリキュラムをラインアップ。アートという共通項を持って集まった受講生たちは、純粋に作ることの楽しさを学びながら、眠っていた創造性を開花させていきます。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「僕らがアトリエe.f.tで大切にしているのが、自己肯定感を作ること。『自分のやりたいことをやっていいんだ、みんなと似ていなくていいんだ』という考え方を知ってもらうことから始まります。受講生の生活環境もさまざまで、普通の高校生もいれば、絵の世界に逃げることで自分を保っている子もいます。そんな子たちにも、全然イケルで! ここにいてもいいんだよ、という安心感を感じてもらい、その次の段階で創造性の開発というフェーズに移ります。僕、生駒で発達障害と言われる子どもたちを対象にしたスクールもやっているのですが、アートの世界では彼らの個性って本当に輝いているんです。家から出ると一言も話せなかった子が、ワークショップがあまりに楽しすぎて大声で笑ったりするなど、子どもたちが殻を破って能力を発揮する瞬間って、今や!と分かるぐらいはっきり見えます。そういったことを目の当たりにして、スタッフが思わず涙してしまうこともよくありますね」

アトリエe.f.t.の授業風景。完成させることよりも作るプロセスの中で気付きや学びを得ることを重視しています

現在、約200人が学んでいるというアトリエe.f.t.。40代半ばまでいるという大人の受講生たちもまた、それぞれに悩みや思いを抱えながら作品作りに打ち込んでいます。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「アートスクールやダブルスクールを受講する人で、趣味程度に絵を描きたいと言って来られた方のお話を聞くと、実は、小さい頃からずっと絵を描くのが好きで芸術家になりたかったけど、親の反対で美大に行けなかった。それでもアートへの情熱は持ち続けていて、一から勉強したい、夢を叶えたいという人も結構いるんです。そういう経緯で入校の動機が分かることもあるので、大人の受講生にもじっくり丁寧に対応して、気持ちを開放してもらえるように努めています」

完成した作品を評価するのではなく、プロセスから学ぶことが重要であるという教育方針は、学校生活や従来の美大予備校に居場所がなかった受講生たちにとって大きな救いとなっています。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「僕は、このアトリエで作った作品が、どこかの展覧会で評価されて、ということに全然興味がなくて。それよりも作るプロセスの中で、受講生たちがどんなことを学び取るかということにワクワクするんです。それを試行錯誤して失敗したり考えたりするうちに少しずつアイデアや表現技法を学び、同時にコミュニケーション能力も身につけていって。作品自体はどんな作品でも、どんな表現になってもいいんです。僕らがやっている『新感覚ストア』は、メンバーが作品の展示をするのはもちろん、会場との打合せ、イベント企画、チラシデザイン、会期中の運営などのすべてを実践する中でさまざまな学びを得ます」

アトリエe.f.t.主催のアートイベント「新感覚ストア」。一般的な展示会とは趣が異なる趣向で来場者たちを楽しませています

サッカー少年の挫折がアートへの道を切り開く

美術や音楽など、多岐にわたりアーティスティックな活動を展開している吉田田さんですが、少年時代は意外にもスポーツ一辺倒な日々を送っていました。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「小学校の頃から柔道、野球、テニスなど、いろいろなスポーツをやっていました。高校はサッカー部だったんですけど、2年生の時に膝と腰を壊してしまって。病院に行ったら脊髄分離症という症状で、ヘルニアよりもひどいから激しい運動は、もうできませんよと言われました。もうめちゃくちゃショックで、帰りの車の中、母親が運転している横でこっそり泣きましたね。サッカーに夢を託していたわけじゃないけど、卒業まではやるんだと思っていたのが、突然、夢を絶たれてしまって」

「サッカー部を辞めて何をしようかと思った時のインスピレーションのまま44歳になりました(笑)」と吉田田さん

失意のどん底にあった吉田田さんですが、気持ちを切り替え、かねてから興味のあったアートへの方向転換を果たします。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「当時、Jリーグが始まって2年目だったんですけど、部活も辞めてしまって、『モテる予定やったのにあかんやん!』と思って(笑)。それで何をやろうかと考えて、もともと絵を描くのが好きだったから、仲の良い友人たちとe.f.t.というアート活動チームを作ったんです。この名前は、ジャン・コクトーの小説『恐るべき子供たち』の原題(Les Enfants Terribles)の頭文字から取ったもので、今のアトリエe.f.t.にも継承されています。不良ではないけど、学校の中で何か面白いことをしたいと思ったメンバーで集まって、ブラックユーモアな要素のある活動をするという。音楽活動もその頃から始めました。ただ、楽しい反面、何かしなければという焦りも常に感じていて、『もっともっとやらなあかん!』って、毎日、日が暮れるたびに泣いていました(笑)。それで、ひたすら自分の作品を描いて校内で個展を開催したりして。なんでそこまで追い詰められたのかって思うけど、当時は、本当に頭の中がパンパンだったんですね」

高校を卒業し、1996年に大阪芸術大学に入学した吉田田さん。激動だった高校時代の余韻から、最初はアートへの情熱が気負いすぎることもあったのだとか。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「兵庫県の田舎出身なので、大阪芸術大学って、全国の表現の猛者が集まっているイメージがあったんです。だから、これは半端なことでは頭角を現すなんてできないなと思って、必死でした。入学と同時にバンドも結成したんですけど、一つのことだけやっているのではダメだと思って、音楽をしながらアート作品やフリーペーパーを作ったり、壁画を描くプロジェクトなど、いろいろなものを起ち上げて。気づいたらバンドなのに娯楽要素が全然なくなって(笑)。ちょっと気合を入れすぎて疲れてしまい、バンドは、もう気楽にいこうということでDOBERMANに発展していったんです」

1998年に結成されたDOBERMAN。モッズスーツに身を包み、スペシャルズ、マッドネスなどのツートーンスカの様式を継承しながら多岐にわたる音楽性を展開。吉田田さん以外のメンバーもさまざまなジャンルで創作活動を行っています

学生アパートから始まったアトリエe.f.t.の歴史

1998年、大学3年生の吉田田さんは、学生生活を送りながら、美大受験の予備校としてアトリエe.f.tを創業。学校からほど近い自宅アパートに生徒を招いて指導を行っていました。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「バイト先のおばちゃんから、『子どもが美大に行きたがっているけど、大きな予備校は高いし、どうしたらいい?』と聞かれたので、じゃあ僕が教えましょうかと言ったらトントン拍子で話が決まって。それで本気でその子を教えたら、みごと合格したんです。もう自分が受かったときより嬉しくて、教えた子が合格するって、こんなに興奮するのかって。それがちょっとやみつきになって、来年はもっと精力的にやりたいと思ってチラシを作って宣伝したら、2人、3人と来てくれるようになって」

学生アパートの一室から始まったアトリエe.f.t.。「最初の頃は生徒数も少なくて、なんとか生活できるか、というぐらいの状況。でも、覚悟はしていたし、それでもクリエイティブな教育がしたかったんです」

大学卒業後は大阪市内へと場所を移し、予備校としての実績を積み上げていたアトリエe.f.t.。しかし、将来の方向性を考えていくうちに、教育に対する考え方に変化が現れるように。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「僕は、大学在学中に音楽、写真、デザイン、現代アートの展覧会などに携わり、クリエイティブな活動をする中で面白く生きることを学んだんです。でも、実際に自分が予備校でやっていたのは、あの大学に入りたかったら影をもっと濃く描きなさいとか、合格するデッサンの描き方みたいなことで。最初は合格させることに興奮したけど、だんだん大学受験だけを視野に入れてやることに物足りなさを感じるようになってきたんです。僕がアートから学んだことを体系づけて授業にする方法はないかなと考えた末、たどり着いたのが、創造性を開発するためのワークショップ。アメリカではすでに流行りだしていたんですけど、今で言うフラッシュモブみたいにみんなで急に踊って街の人を驚かせたり、みんなが『なんだこれ?』と思うような仕組みや仕掛けを作ったり考えるワークをいろいろやり始めて。そこが一つの分岐点でしたね。『画塾ですか?美大の予備校ですか?』と聞かれて、それもやってるけど、別に美大に行かなくてもいいんですよって感じで」

アトリエe.f.t.でワークショップを始めた頃は、まだ受験勉強=詰め込み教育という認識だった時代。「創造性の開発」という保護者にとって未知の領域が理解され始めた近年は、まさに教育界全体の過渡期と言えます。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「最近は企業の求める人材が、新しい発想を持った人……非認知力という言葉で言われたりするすけど、コミュニケーション力、主体的に関わっていく力、応用する力など、数字で表しにくい能力を持った人になってきたんです。その背景にはAIの発達でコンピューターが人間に取って代わってきていることも影響しています。日本が先進国の中で生き残るには、クリエイティブに長けた人を増やすしか方法がないと分かってきたから、国としても教育を変えなければいけないとなってきて。以前は親御さんから、『合格するやり方だけ教えて』なんて言われたことあったけど、僕はどうしてもクリエイティブな教育をやりたかった。自分が受験生だったときは、描いた絵に点数を付けられたり『こんなので受かるか!』とか怒られてつらい思いをしたので、自分が行きたかった予備校を作るというのもアトリエe.f.t.を創業した時の大きな目標。努力は確かに大事だけど、絵を描きに来ているのに、めちゃくちゃ体育会系にしごかれるのも違うなと思って」

吉田田さんのクリエイティブ教育はアートだけでなく、医療系や行政、企業研修などのオファーも多く、マニュアルにとらわれないコミュニケーション力が多様な業種で求められています

集団から個人へ、価値観が変わる時代の中で

既存のフォーマットにとらわれない教育を実践してきた吉田田さんですが、ダイバーシティ(多様性)の浸透、そして、コロナ禍などを経験する中で、アトリエe.f.t.も社会の変化に沿った展望を模索しています。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「これまでは大企業に入れば将来安泰、大船に乗るという考え方が一般的でしたが、それって、近代という名のもとに100年ぐらい動いていた大型船で、実はもう壊れつつあるんですね。それに気づいた人は、少しずつ小型船に乗り移って個々に身を寄せ合いながら社会の荒波を泳いでいるという。今、e.f.t.にはダブルスクールという大学生をメインとしたクラスがあって、ここは今後、属さずに生きる方法を教えるというフリーランスを養成するクラスに変えていく予定です。実はe.f.t.も、もともと法人ではないんです。スタッフ全員で話し合って、雇用をするのをやめて全員フリーランスにしたんです。なので上下関係はありません。ま、もともと働く時間や休みもスタッフが勝手に決めていますし、20歳近く年下のスタッフでも僕にタメ口ですけど(笑)」

そして、ボーカルを務めるDOBERMANについても精力的な活動を視野に入れて準備に余念がありません。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「コロナ禍でずっとライブができない中、何が音楽をやっているモチベーションなのかと考えたら、結局、ライブを見に来てくれる人がいるということだと気がついたんです。それまでは月に2回も3回もライブあって大変やな〜と思っていたのに、ぽっかりなくなると、音楽やっている意味が感じられなくなってしまって。僕、歌詞を書くのが好きなので、楽曲制作がモチベーションだと思っていたけど、それ以上に自分たちの表現が誰かに届いて、熱狂してくれる人がいるからこそやって来られたんだなって。東京、大阪はもちろん、地方で待ってくれている人もいるので、状況が落ち着いたら早くみなさんに会いに行きたいですね」

コロナ禍を経て音楽に対するスタンスを見つめ直した吉田田さん。DOBERMANの本格的な再始動に期待がかかります

現在、奈良県生駒市で暮らす吉田田さんは、自宅のDIYや自給自足を取り入れた生活を実践。生産者の目線を持つことが今後、社会の中で新しいことを始める上で重要になってくると語ります。

吉田田タカシさん(以下:吉田田さん)

「都市部に住んでいると、生活の中で消費することはあっても、何かを生み出す、生産することって、ほとんどの人ができていないんですね。そういう状況に疑問を持つ人がここ最近、増えてきているけど、解決するためには何かしらのレッスンが必要だと思います。それは、畑仕事でも正月のしめ縄づくりでも、なんでもいい。普段の仕事をする傍ら、少し空いた時間で生活に根ざしたことをやれば、自分は、もう消費するだけの人から手渡す側になれるんです。これはe.f.t.のポリシーである『つくるを通していきるを学ぶ』に通じるところで、僕もジビエをやったり味噌を作ったり、自宅の庭で鶏を育てたりしています。今後の社会では、そういった作業を通すことで自分らしく生きるにはどうすれば良いのかというヒントが見えてくるのではないかと思います」

「幸せ=お金」という考え方が崩れつつある現在、生産者の視点を持ち、社会の中で自分の居場所を再確認するという流れが、これからの時代、大きな意味を持ってくると思われます

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アトリエe.f.t.

アトリエe.f.t.

ワークショップなどを通して創造性やコミュニケーション能力を育成するクリエイティブ教育を実践。未就学児から社会人まで、幅広い年齢を対象としており、未経験者でもアートに触れ、ものづくりの楽しさを学ぶことができる。スタッフにもアートやデザインの最前線で活躍するプロフェッショナルが揃う。

アトリエe.f.t.

住所/大阪市中央区上町1-8-2 協和ビル4階(大阪校)、奈良県生駒市壱分町763-3(生駒校)

電話番号/06-6764-6086(代表)

営業時間・料金/クラスごとに受講内容が異なるため、HPでご確認ください。