パンケーキの市民権獲得に尽力。メディア・プロモーションの経験が活きた普及活動

株式会社ドラムカンメディア代表 | 杉本悟

日本で古くからおやつとして食されてきたホットケーキ。近年では、海外のスタイルを取り入れたパンケーキの名で浸透し、外食産業の中でも飛躍的な伸びを見せています。日本にお けるブームの火付け役となった杉本悟さんは、型破りなスタイルで異業種とのメディアミ ックスやコラボレーションを実現させ、パンケーキの普及に努めてきました。

杉本悟

株式会社ドラムカンメディア代表 | 杉本悟

すぎもとさとる/1968 年生まれ。食料品の卸問屋を営む両親のもとに生まれる。大学在学中にサークル仲間と共にイベント事業を展開。その後、そのスポンサー会社にみそめられ、イベント・飲食企画会社を起業し、大阪ミナミを中心にバーや和食店を運営。その後、南部靖之氏との出会いを経て株式会社テンポラリーセンター(現在の株式会社パソナ) に入社。輸入事業や商業施設のプロデュースなどの事業を手掛ける。1998 年、30 歳で株式会社ドリームアンドモアを設立し、メディア・プロモーション事業を展開。2007 年には有限会社ドラムカンと共同出資で株式会社ドラムカンメディアを設立し、ファッション関連のプロモーションやメディア開発を行う。2011 年頃からかねてからブログや各種メディアでパンケーキの情報を発信し、2013 年には大阪心斎橋に自身がプロデュースを手掛けたパンケーキ専門店をオープンし、全国にFC展開する。

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思い出の味から誕生したパンケーキ王子

当メディアの読者も子どもの頃にオヤツとして食べていたであろうホットケーキ。日本人 にとって馴染み深い食べ物の 1 つですが、2008~2010 年頃から海外スタイルのホットケーキ=パンケーキが徐々に浸透し、さまざまな食感やデコレーションのスタイルが登場。やがてブームへと発展したパンケーキは 1 つの食文化として定着し、今もなお新たな味が生み出されるなど進化を続けています。

そんなパンケーキに心を奪われ、ついには自らパンケーキ店をオープンしたのが、ファッシ ョン業界を中心に活躍するメディアプロデューサーの杉本悟さん。一連のブームに大きく 寄与した杉本さんのパンケーキ普及活動のベースには、味へのこだわりとともに、長年、広告業界で培ってきたメディアミックス術が息づいています。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

東京にある株式会社ドラムカンメディアのオフィスからリモート取材を行いました

杉本さんとパンケーキとの長い歴史、その始まりは京都府福知山市で過ごした少年時代にまでさかのぼります。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「実家が商売をしていたので、平日はほとんど家族揃ってご飯を食べることができなかったんです。でも、日曜日だけは唯一、親が家にいる日なので、母が朝からよくホットケーキ を焼いてくれて。その味がとてもおいしかったのと、母と一緒にいられる時間が楽しかった という、ノスタルジックなところが大きいけど、大人になってからも喫茶店やカフェで日常 的に食べていました。そうやって、いろいろお店を食べ歩いているうちに、ファッションの お仕事でご一緒しているモデルさんから、『そんなにパンケーキ好きならブログで書いたら いいのに』と言われ、ブログを始めました。次第に彼女たちから、『今、○○にいるけど、 どの店がおいしいですか?』なんて聞かれて教えているうちに“パンケーキ王子”というあだ名で呼ばれるようになってしまって(笑)」

あふれんばかりのパンケーキ愛が綴られた杉本さんのブログ。年間約200食ものパンケーキを食べ、評論家として各種メディアにも登場しました

かくしてパンケーキ王子となった杉本さんは、次第に理想のパンケーキ作りへと情熱をシフトさせます。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「こんなにパンケーキが好きなら、もう自分で作るしかないだろうと思って笑)。で、あーでもない、こーでもないと試行錯誤して、2013 年に僕が完全プロデュースした店舗『VERY FANCY』の1号店が大阪・心斎橋に開店。当時、大阪では、まだブームになっていなかったんですけど、テレビや雑誌、WEB などでパンケーキの魅力を発信していたら、次第に競合店も増えてきて少しずつ盛り上がりを見せていきました」

ブームの仕掛け人である杉本さんには、大手企業からもコラボ依頼が殺到。柔軟な発想から生み出されたメニューは、たちまち世間の注目を集めることに。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「某大手回転寿司チェーンからの依頼で、デザートとしてパンケーキメニューの監修をプロモーション込みで引き受けました。カジュアルで本格的なパンケーキを回転寿司店で食べられるのが受け入れられ、1ヶ月 10万食の目標を 3 日で達成。その後、メニュー内容を変 えながら第 2 弾、第 3 弾と続け、結果的に 150 万食を売り切ることができました。あとは 僕のルーツでもあるホットケーキミックスを作った森永製菓さんと甘酒を使ったコラボパンケーキレシピを考案。これがとてもおいしくて、きなこや抹茶などをかけると合うんですよ。本業の ファッション業界では、僕らが作ったメニューをイラスト化したT シャツやバッグなどに印刷して販売、VERY FANCYで実際にそのメニューが食べられるというコラボも。自分が純粋に大好きなパンケーキと、これまで培った広告業界での経験を活かしてパンケーキの普及に貢献できたことは僕にとっても大きな手応えでした」

杉本さんが試行錯誤の末に生み出したオリジナルのパンケーキ。甘すぎず、とろけるように柔らかい触感が魅力です

怖いもの知らずの大学生社長が恩師に出会うまで

実家が食料品の卸問屋を営んでいた杉本さんは、大学で経済学を専攻。しかし幼い頃から商いの現場を間近で見てきた目に映る授業内容は、退屈を感じさせるものでした。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「学生時代の僕は本当に生意気で、『先生たちは商売やマーケティングを教えているのに、なぜ自分で商売をしないんだ』なんて思っていたんです(笑)。それで2年生の頃に、所属していたイベントサークルの仲間たちと会社を設立。不動産会社をスポンサーにして、最初はイベント業を主としていました。その後、継続させるなら飲食店だろうということで、大阪ミナミを拠点に和食店やバーなどを展開。結構な勢いで儲かったけど1980年代後半のバブル崩壊で親会社も倒産し、僕らも自分たちの資本で再スタートを切ることに。その時にプロモーションの仕事を始めたのですが、大手企業が幅を利かせている中で、僕らとしては飲み込まれないよう反骨精神で頑張っていました」

若くして起業家としてのキャリアを歩み始めていた大学時代。バブル崩壊など社会情勢が大きく変わる中、自らの手でビジネスチャンスを開拓しました

大学の卒業、就職が見えてきた頃、起業した会社がすでに軌道に乗っていた杉本さんでしたが、その後の人生に大きな影響を与える決断をします。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「親族に商売人が多かったので、その逆でサラリーマンも経験しておきたいなと思ったんです。それで就職活動を始めたのですが、正直なところ半分は、自分の会社を売り込むための営業活動でした。30社ぐらいから内定をいただいたのですが、最終的に選んだのは、現在、パソナとして有名な人材派遣会社で、当時はテンポラリーセンターという名前でした。入社の決め手は、創業者の南部靖之さんがとにかく魅力的な人だったこと。面接してくださった後に外で名刺を渡しにいったら、南部さんもわざわざ秘書の方を車まで走らせてご自分の名刺を持ってきてくださって。そんな真摯に対応してくださったのは南部さんだけで、僕も『この人のもとで勉強したい!』と思って自分の会社はいったん畳むことに。入社して1年ほどは人材派遣を担当。それからは南部さんに付いて関西での新規事業のお手伝いをしていました」

テンポラリーセンターに勤務していた頃の杉本さん。この頃の経験が後のプロモーション事業の礎になっています

師と仰ぐ南部さんと行動をともにする中で杉本さんは、プロモーションや事業展開の極意を学んでいきます。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「海外からのアパレルや車の並行輸入、商業施設の新設など、さまざまなジャンルの事業に携わらせてもらうことができました。特にプロモーションの分野では、アドバタイジングではなくPRで大きくなった会社なので、宣伝広告費がゼロという状況の中、手掛けた事業をニュースにして新聞社やメディアへの働きかけ、取材に来てもらうという手法を学ばせてもらいました。それもあって、事業を組み立てる時に、『こうやったらメディアが気にいるだろう』というイメージを描いて計画を立てるというトレーニングをずっとやっていましたね」

ファッション業界へと裾野を広げた新たな船出

南部さんのもとでサラリーマン生活を経験した杉本さんでしたが、キャリアを積み重ねる中で、次なるステップに向けての準備も思い描いていました。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「漠然とですが、30歳までには、また自分で会社を作ろうと思っていたんです。1997年にパソナを退職して1998年にドリームアンドモアという会社を設立。いろいろな企業の広告が入ったポストカードを京阪神150ヶ所に設置したラックに置き、無料で持って帰ることができるというプロモーション事業を始めました。クライアントは大手企業から街のローカルショップまでさまざま。そこに若手のイラストレーターなどを投入して企業のクリエイティブを作ってもらうという取り組みも行い、彼らのステップアップもサポートしていました」

ポストカードを使用した杉本さんのプロモーション事業は多方面に広がりを見せ、アパレル関連のクライアントが増加。ここからファッション業界との連携が始まります。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「ファッション系のクライアントが新店をオープンするとなったら、プロモーション含めてまるごと依頼されるという案件が増えていきました。そこから発展して、当時、ファッション都市宣言をしていた神戸市と『ドラフト!』というイベントを起ち上げたのですが、これは、文字通り若手のファッション系クリエイターを一同に集めて、バイヤーに買取で仕入れを行ってもらうイベント。これまで300人ぐらいがここからデビューし、そのうち2割ぐらいは今も最前線で頑張っていますよ」

関西におけるファッション仕事を一手に引き受けていた杉本さんでしたが、臨戦態勢をより強固にすべく、新たなビジネスパートナーと手を結びます。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「2000年代の初頭、ファッションショーの演出をできる会社が関西になかったので、パリコレやミラノコレクションなどの演出も手掛けていた東京のドラムカンに演出をお願いしたんです。社長が大阪出身の同い年ということで意気投合し、ショー演出とプロモーションというお互いが持っていない要素を補い合うために、2007年、共同出資でドラムカンメディアという会社を設立。その頃に僕も本拠地を東京に移しました。トーキョーガールズコレクションの現場などにも入ってモデルさんたちとお仕事をして、ここでようやくパンケーキ王子誕生の話に繋がってくるわけです(笑)」

ファッション業界で活躍を広げる杉本さんは、仕事を共にしたモデルのアドバイスからパンケーキ王子としての活動も開始

荒波に挑む反骨精神のルーツ、そして、パンケーキへの展望

既成概念にとらわれない柔軟な発想で、さまざまな事業を成功に導いてきた杉本さんですが、そのルーツには、ある有名アーティストとの出会いがありました。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「中学生の頃、兄の影響でRCサクセションにハマって、忌野清志郎さんの追っかけになったんです。清志郎さんの歌詞から『敷かれたレールを歩くのではなく自分で切り開いていけ』というメッセージを感じて、それで自分の会社を作って大手企業に挑んだり、既定路線に逆らってサラリーマンも経験するという生き方を突っ走って。実は、事務所に飛び込みで営業に行って清志郎さんへの思いを熱く語り、仕事もさせてもらうようになったんです。2009年に亡くなられて、葬儀である『忌野清志郎 AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW』の際も参列者への御礼の品をデザインさせてもらうなど、本当に言葉では語り尽くせないほど、お世話になりました。清志郎さんから教えてもらったロックンロール、ラブアンドピースの精神は、僕のパンケーキにもしっかり受け継がれていますよ」

憧れの存在だった忌野清志郎さんとの仕事を実現させた杉本さん。清志郎さんがボーカルを務めていたRCサクセションとの出会いは、アルバム「BLUE」「EPLP」の頃

杉本さんが「ラブアンドピースな食べ物」と語るパンケーキ。自身のお店で手掛けるメニューは、幅広い層に食べてもらいたいという思いが込められています

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「VERY FANCYのパンケーキは生地に砂糖を入れないので甘くないんです。実は、海外でのパンケーキは日本でいうお好み焼きなどに近い扱い。なので、うちでもトッピングで生クリームなどもお出ししますが、めっちゃおいしいソーセージなどを添えたガッツリ系のメニューも揃えています。女性の食べ物というイメージが強いのですが、男性のお一人様にも、ぜひ食べに来ていただきたいです」

「鉄板界のロールスロイス」と呼ばれる特殊な高級鉄板で焼かれるVERY FANCYのパンケーキ。家庭で食べられる商品の開発に期待がかかります

さらに、今後も未開の地を切り開くための計画が進められています。

杉本悟さん(以下:杉本さん)

「家庭にVERY FANCYのパンケーキを届けたいなと思って奮闘しています。うちの店の鉄板がかなり特殊で焼きのテクニックを要するため、商品化するなら冷凍かチルドになるかな。歯を使わないでも食べられる、むしろ吸えるぐらいの柔らかさが大きな売りなんですけど、それを完全に再現した百点満点の製品を作り出すには、まだまだ試行錯誤が必要ですね。本当はどこかコンビニなどがコラボしてくれたらいいんですけど……あ、これは、ぜひ強調して書いてください!(笑)」

現在、家庭用の商品を開発中。極上のパンケーキが食卓で食べられる日もそう遠くはない?

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