世界最高峰のレースを見たテレビマンが語る、自然と一体化する自転車ライフの醍醐味

毎日放送プロデューサー | 田中 良

毎日放送でさまざまな番組を手掛けてきたプロデューサー・田中良さんが日々の移動手段として利用している自転車。誰の生活にも身近なものと思われますが、その移動距離が近場の散歩ではなく、車や電車に匹敵するものと聞けば話は別。街や自然の中で愛車とともに颯爽と風を切る田中さんに自転車、そしてその道に入るきっかけとなったロードレースの魅力について語っていただきました。

田中 良

毎日放送プロデューサー | 田中 良

たなかりょう/1970年生まれ。大学卒業後に毎日放送に入社し、報道局社会部記者に配属。ニュースからバラエティーまで幅広い番組でプロデューサー、チーフプロデューサーを務める。過去の担当番組は『世界バリバリ★バリュー』『痛快!明石家電視台』、報道番組『VOICE』など。現在は通販番組『カチモ』を制作。2006年に放送された『情熱大陸』での取材を通じてロードレースの魅力に触れ、自らもロードバイクを駆って自転車ライフを送っている。

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「情熱大陸」の現場で見たロードレースの凄まじさ

自転車レースと聞いて競輪一択で思い浮かべていたのは、もはや過去の話。『シャカリキ!』『弱虫ペダル』などの人気コミックなどをきっかけに大きなブームを生み出したロードレースは近年、競技人口も増加傾向にあり、国際大会で活躍するスター選手も生み出しています。毎日放送のプロデューサー・田中良さんもドキュメンタリー番組「情熱大陸」での取材を通してロードレース、ロードバイクに魅了された一人で、現在では愛車を駆って全国各地でツーリングを行うなど、自然と一体化するスポーティーな自転車ライフを満喫しています。

田中 良さん(以下:田中さん)

報道からスタートし、ドキュメンタリーからバラエティーまで数多くの番組でキャリアを築き上げてきた田中さん

フランスで毎年行われる自転車レース「ツール・ド・フランス」など、ヨーロッパでは熱狂的な盛り上がりを見せるロードレース。日本での認知度の高まりには、田中さんが手掛けた『情熱大陸』の存在が大きな影響を与えました。

田中 良さん(以下:田中さん)

「僕はもともと大阪の毎日放送で報道記者やラジオ番組の製作をしていたのですが、東京支社テレビ制作部に転属後、『情熱大陸』用にさまざまなテーマで企画書を書いている中、日本人でフランスの自転車レースチームに入って世界を舞台に活躍している別府史之さんの存在を知りました。彼のことを絶対に番組で取り上げたいと思いコンタクトを取ったのですが、その時は番組製作まで至らなくて。2年後、彼がアメリカのチームに移籍したのをきっかけにようやく上司からOKが出て取材を開始。全日本選手権でチャンピオンとなり、スイスとフランスで行われるレースに出場する様子に密着しました」

2006年10月、『情熱大陸』の取材で訪れたフランス・マルセイユにて。別府史之さんは全日本選手権でチャンピオンになったことから日の丸をモチーフにしたジャージを着用

入念なリサーチの上、取材に臨んだ田中さんでしたが、想像を遥かに上回るロードレースの過酷さ、そしてレーサーたちのアスリートとしての強靭さには、ただただ驚くばかりでした。

田中 良さん(以下:田中さん)

「スイスのコースは周回でチューリッヒ湖畔を4周すると分かっているから定点カメラを置けば良かったんですけど、フランスのレースは一方通行でパリからツールまで250キロのコースを5時間走るんです。僕らも撮影のためバイクと車で並走しますが、どこで何が起こるかわからない。先頭を走っていたチームメンバーのマシントラブルをサポートすることになったことでペース配分が崩れてしまい、結果的に別府さんはリタイアに。しかし、最大時速80キロのスピードを人力で出してチームを勝利に導くという仕事を目の前で見て、ロードレースが本当にすごいスポーツなんだなということを実感しました」

2週間にわたりフランスとスイスで行った取材では、別府史之さんの練習風景やレースの裏側など、日本ではなかなか見ることができないヨーロッパ自転車シーンの最前線をカメラに収めた

『情熱大陸』のオンエア後、田中さんは日本におけるロードレースの浸透に大きく貢献したことを実感します。

田中 良さん(以下:田中さん)

「別府さんのお兄さんがスポーツジャーナリストをされていてイベントなどでお会いすることが多いんですけど、『情熱大陸』の感想を聞いたら、もうあのオンエアの前と後では世間的な認知度や人気が格段に違うと言ってもらえて嬉しかったです。オンエアから3年後(2009年)に別府さんと、その後に出てきた新城幸也さんが揃ってツール・ド・フランスに出場し、みごと完走したんですけど、もう本当に感慨深かったですね」

関西への思いから飛び込んだテレビ業界。理系ならではの苦悩

大学卒業後、26年間、一貫して毎日放送で制作の現場に立っている田中さんですが、学生時代は理系専攻で研究に没頭し、テレビ業界にはまったく興味がなかったのだとか。

田中 良さん(以下:田中さん)

「子どもの頃から国語が苦手で通信簿でも唯一5が取れず、その反動で理系に行きました。でも、さあ就活だとなったら、大学院まで行ったにもかかわらず、自分がどうも理系が肌に合わないような気がしてきて。それで方向転換を考えたのと、父が昔から単身赴任で家におらず、僕も大学時代は下宿していたので、なるべく母を1人きりにさせないよう、関西にずっといられる企業に行こうと思ったんです。本社が大阪にある会社を探していたら目についたのが在阪のテレビ局で、主要局を受けたところ毎日放送に合格しました」

チーフプロデューサーを務めた「所さんお届けモノです!」(日曜17時~MBS/TBS系)のスタジオにて

テレビマンとしてのキャリアを歩み始めた田中さんですが、理系とは真逆の世界に当初は苦労が絶えませんでした。

田中 良さん(以下:田中さん)

「もともと国語が嫌いだったのに配属されたのが報道の部署で。もう語彙、構成力、文章力がどれもなかったので、最初はどれだけ原稿を書いてもボツの連続。2年間事件担当になって原稿を書き続けてある程度定型文を覚え、経験を積んで理系ならではの分類や分析を活かせたことで、ようやく仕事が身につくようになりました。その後、土曜朝の全国放送のワイドショー担当になったのですが視聴率で惨敗したのが悔しくて、東京転勤を希望。『情熱大陸』を作りたいと思って転属させてもらったけど、どれだけ企画書を書いても実らなくて…。見かねた上司がバラエティー番組の製作チームに入れてくれて、そこで高視聴率を打ち立て結果を出せたことで、ようやく別府さんの取材に繋がりました

乗って初めて知った爽快感、そしてアスリートたちの驚異的身体能力

『情熱大陸』の取材中は現場での対応に必死で、自分が乗ることなど考えもしなかったという田中さんですが、時間が経ち、フランスとスイスで目にしたロードレースを振り返る中でロードバイクへの思いを募らせるようになります。

田中 良さん(以下:田中さん)

「オンエア後、しばらくしてから自転車メーカーとして有名なトレック・バイシクルの人たちと出会う機会があり、そのご縁で自分でも乗ってみようかなと思うようになりました。それで狙っていたモデルが川崎のお店にあったんですけど、買ってから当時住んでいた東京の自宅まで30キロぐらい漕いで帰らないといけない。初めてだし、こけたらどうしようとか不安もあったけど、これが意外といけたんです。軽く漕いだだけで結構スピードも出るので、とても気持ちよくて。別府さんが取材のときに『気持ちいい、マジで!』と叫んでいた気持ちも分かりました。ただ、彼らは普通に走っても時速50キロぐらい出せるので、僕らとは明らかに次元が違いますが(笑)」

ロードバイクで街中を駆け抜ける田中さん。通常の自転車に比べ、動きのなめらかさが特徴的です

本格的にロードバイクを始めたことで新たな世界への扉を開いた田中さん。フィジカル、メンタルの両方に、これまでなかった感覚が芽生えます。

田中 良さん(以下:田中さん)

「目的地まで10〜20キロぐらいの距離なら、もうロードバイクで行こうと思うようになりました。以前、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの中に毎日放送のスタジオがあったんですけど、大阪に戻って住んだ家からちょうど片道10キロぐらい。電車より確実に早いので、毎日、30〜40分かけてロードバイクで通っていました。今、通勤には電動自転車を使っていますが、それでもやっぱり汗はかくし、健康維持には良いですね。あと、川沿いなど車で走れない道を通ると、普段は見落としている何気ない景色が目に入ってきて、日常の大切さをありありと感じ、思わず涙が出そうになることも。いつの間にかできていたお店を発見したり、頭の中に街の地図を作ることで脳にも良い刺激になっていると思います」

田中さんの愛車はトレック・バイシクル製。「情熱大陸」で取材を行ったときに別府史之さんが乗っていたブランド

最初は一人で始めたロードバイクでしたが、次第に同じ趣味を持つ仲間とも出会い、交友関係が拡大。ツーリングやファンライドなどのイベントにも参加するようになりました。

田中 良さん(以下:田中さん)

「僕が通っていたワインバーの店長が自転車チームを作っていて、そこに入れてもらいました。弁護士や医師、飲食店経営など、みんな職種や年齢もバラバラなんですけど、お揃いのサイクルジャージを作って一緒に走るのが楽しいんですよね。また、Facebookで繋がった大学時代の友人もロードバイクをやっているということで20年ぶりに再会し、一緒に琵琶湖を一周できたのも嬉しかったです。僕は自分で乗り出して15年ぐらいになるけど、1人でやっているとやっぱり限界があります。楽しみを共有できたり教えてくれる人がいることが長く続ける秘訣かもしれませんね」

2017年10月、自転車チームのメンバーとともに淡路島をツーリングした際の1枚。業種も年齢も異なるメンバーが自転車を通じて同志に

サイクルコースからイベントまで、乗る前に知っておきたいビギナーへの手ほどき

これからますます愛好者の増加が予想されるロードバイクやロードレースですが、今回の記事を見て興味が湧いた人が、まず取るべき行動とは?

田中 良さん(以下:田中さん)

「自転車の購入を考えているなら、まずはエントリーモデルなど比較的手軽なものから入ってもいいと思います。ロードバイクはフレームさえあれば他の部品は都度交換していけば大丈夫。最近はサイクルコンピューターも進化しているので、しっかりメンテナンスすれば同じ車体でも長く乗り続けられます。とりあえずどんなものか知りたいという場合は、自転車シェアのサービスを利用してみてください。最近は電動自転車だけでなくロードバイク、クロスバイクなども借りられるので、手軽に始めたい人にはうってつけだと思います」

田中さんのロードバイクに取り付けられているサイクルコンピューター。速度や距離の計測はもちろん、心拍とも連動するというすぐれものです

日本各地を走ってきた田中さんが、ビギナーにおすすめするサイクルコースやイベントは?

田中 良さん(以下:田中さん)

「近畿圏内だと手軽なものなら淀川を北上して嵐山を目指すコース。平坦だし河川敷の自転車専用道路を走れるので初心者でも安心です。体力に自信があるなら六甲山。紅葉の時期に有馬温泉をゴールにするというもの楽しいです。ちょっと遠出していいなら、しまなみ海道は外せません。たくさん橋を渡ったり高低差も激しいので意外とハードですが、尾道〜今治間の景色の美しさは格別です。イベントなら、チームで参加した『シマノ鈴鹿ロード』や、東日本大震災の被災地を巡る『ツール・ド・東北』が思い出深いです。『ツール・ド・東北』は被災地支援のイベントなのに沿道で地元の人が大漁旗を振って応援してくれて僕らのほうが励まされるという。あと、今年は行けなかったけど屋久島で行われるファンライドも、ぜひ参加したいですね」

今やサイクリストにとっての聖地とも言われているしまなみ海道。自転車専用道路も整備され、快適にツーリングが楽しめます

別府史之さんや新城幸也さんなどの活躍もあり、盛り上がる自転車シーン。今後の行方に田中さんも期待を寄せています。

田中 良さん(以下:田中さん)

「コロナ禍で公共交通機関に乗らなくなった人も多くなったと思いますが、そう考えると、ロードバイクはソーシャルディスタンスを保てて人と触れ合わないで済むし、運動もできる。誰に迷惑もかけず好きなところに行けるので、普及も加速化するのではないかと思います。競技人口に合わせてスター選手が増えれば国内のレースもさらに盛り上がると思うし、今後の展開が楽しみです」

「年を取ると山道は厳しいけど、平地なら普通に20〜30キロは走れるし、一生続けられる趣味ですね」と自転車への思いを語る田中さん

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