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中田商店株式会社代表 | 中田智晃
2021.06.21
K4創立メンバーの1人で、現在は自らが起ち上げた中田商店株式会社の代表を務める中田智晃さん。KADOKAWA、CONDENAST JAPANなど、名だたる出版社で功績を上げ、いち早くメディアのデジタル化に着目して以降は、WEB、SNSを中心とした活動にシフト。今日に至るまで、デジタルメディアやSNS系ビジネスなどを成功に導いています。エネルギッシュに新たな分野を切り拓く中田さんに、今後のメディアの行き先、関西のビジネスシーンが抱える課題などをたっぷり語ってもらいました。
中田商店株式会社代表 | 中田智晃
なかたともあき/1979年生まれ。大学卒業後、KADOKAWAに入社し、アニメ・映画のメディアミックス展開など、さまざまなコンテンツ事業を手がける。その後、インターナショナルメディアのCONDENAST JAPANを経て、数々のデジタルメディア企業でマネジメントや組織構築など、幅広い業務を担当。2020年には、自らの名を冠した中田商店株式会社を起ち上げた。
時代の節目に誰も見たことがない商品やコンテンツを世に送り出すのは、技術者や職人を縁の下から支え、卓越したコミュニケーション能力でメディアに提示する営業職の人々。ヒットを生み出すには、既成概念の枠に収まらない発想力やエネルギーを必要としますが、KADOKAWAで営業職のスタート地点に立った中田智晃さんは、アニメや映画など、同社のコンテンツの魅力を最大限に活かした企画を発案。メディアのメインストリームが出版からWEBへと比率を高める中、活躍の場をデジタルに移し、新たなビジネスを追求しています。
KADOKAWAに入社した20代前半の頃を振り返り、「いやー、生意気なやつだったと思います(笑)」と語る中田さん。人と同じことをやりたくないという強い思いから、独自の営業スタイルを確立していきます。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「誰よりも先に新しいことをやろうと意識していました。入社当初はメディアの広告枠を売ったりしていたんですけど、それなら他の人でもできるので。僕、ミーハー気質なので、当時、KADOKAWAで人気だったアニメ、ライトノベル、映画に興味を持って、これをどんどん売っていこうと思い、メーカー様と組んで作品をテーマにした商品を作ったり、アニメを使った企画を展開していきました。いろいろやっているうちに、行政と組んで町おこしをしたり規模も大きくなってきて。当時は目立ちたかったし、どうやったら人の目を集められるかをずっと考えていました(笑)」
さまざまな展開で話題を呼んだ中田さんのメディアミックス。その根底には、先輩営業マンからのアドバイスがありました。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「『メディアの営業マンはバーテンダーになれ』と。バーテンダーって背中に大量のお酒が並んでいるじゃないですか。お客さんに対して合うものを作るのが仕事で、僕らも自社のメディアやアニメ作品で、同じことができないとダメだって。その言葉を聞いたことが自分なりの営業をしていこうと思ったきっかけですね。作品に対しては、最低限の知識はつけるけど、思い入れを深く持たないようにしていました。僕らは作り手とお客さんを繋げることが仕事なので、愛情が入っちゃうとマネタイズができなくなってしまう。それは編集や作家さんにまかせ、ビジネスに徹することで社内での役割分担も上手くできていました」
15年間にわたり、さまざまなメディア展開を行ってきた中田さんは、2017年にKADOKAWAを退社。『GQ』などを発行するCONDENAST JAPANでインターナショナルメディアの運営を経験した後、活躍の場をWEBへと移します。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「エンタメ系からファッション、ラグジュアリー系まで、やりたいことを一通りできて自分の中で区切りをつけられたのと、このまま出版社にずっといると、新しいことができなくなると思ったんです。そんな時にデジタルメディアで急成長していたITメガベンチャーから声をかけてもらって。当時は、メディアが紙からデジタルにシフトしようとしていた時期で、出版社がデジタルシフトをうまくできないのをずっと見ていたから、デジタル畑の人間が作るデジタルメディアを1から学ばなければと思いました」
その手腕で動画メディアの立ち上げ、運営やWEB、SNS関連ビジネスなどを成功に導いてきた中田さん。デジタルメディアの推移については、紙媒体での営業経験を持っているこそ見えてくる分析をのぞかせています。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「デジタルメディアはテクニックを駆使すれば、ある程度、数字が取れる記事を量産できます。これまではそれで良かったけど、最近ではSNSの台頭もあって、そういう記事の時代が終わりに差し掛かってきているように感じています。今後は、老舗メディアで活躍していた方々が、雑誌媒体で書いてきたようなジャーナリズム満載の記事の方が求められるんじゃないかな。テクニカルとジャーナリズムのバランスが取れたメディアが伸びると考えています。
2020年7月、中田さんは、それまで複数の企業で務めてきた役員、取締役をすべて退任し、自身の会社・中田商店株式会社を設立。裸一貫での再スタートは、中田さんの仕事に対する情熱の現れでもありました。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「僕は今、41歳なんですけど、これぐらいの年齢になると組織の中での仕事ってマネージメントがメインになります。この会議って本当に必要? みたいなのが増えて時間がもったいないと思うようになったのと、役員になったことで現場が見えないのが怖くなってきて。それが独立した大きな理由ですね。やっぱり自分で動いたことで仕事を振ってもらえるのが嬉しいし、現場は最強だと思っています」
さまざまなキャリアを積み重ねて、なおフレキシブルに活躍する中田さんの姿は、仕事に対する価値観が変化しつつある今、憧れの眼差しを持って見つめている人も多いはず。組織に依存しない、自由な働き方を目指す人々に対して中田さんからのアドバイスは?
中田智晃さん(以下:中田さん)
「とにかく動くしかないですね。僕、完全に独立してやっていくとなった時に結構不安だったんですよ。それを信頼している仕事仲間に相談したら、『大量の行動なしに結果は出ませんよ。たとえばFacebookの友達全員に連絡して会いに行ったりしましたか?』って言われて。それで目が覚めて行動に移したら、本当に仕事の相談をもらえるようになってきて、その意味を実感しました。これからは個人が強くなる時代なので、組織の中どう出世するかではなく、どうやって世の中のよろずやになるかを考えないといけないでしょうね」
副業を解禁する企業も増えるなど、働き方に対する考え方が多様化している現在。独立して仕事をする上で意識しておくべきことは、苦手な人も多い、お金の話。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「日本人って、お金の話になると遠慮がちというか、話さないのが美徳みたいな風潮があります。でも、こちらが労力と時間を使うのだから、その対価をもらうのは当たり前のこと。仕事を頼まれたら、どんなに親しい人でも、ちゃんと『お手伝いできますよ。いくらぐらいの予算で考えていますか?』と聞くのは絶対に大事です。今、僕の周りは独立している人が本当に多くて、この仕事ならこれぐらい儲かって、これぐらいの粗利が出ますよって、そんな会話が日常的になっています]
独立後もなおアグレッシブに販路を開拓している中田さんですが、その原動力となっているのは、地元・神戸で青春時代を共にした2人の友人の存在でした。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「1人は、僕が独立する時に相談した後輩。彼は以前、大手の広告代理店にいて、今は自分で会社をやっているんですけど、スキーの国体選手として20数年、大会に出続けていたり、とんでもなくパワフルなやつなんです。一緒に仕事もしたけど、人として本当に魅力的で。もう1人は、神戸を中心にガソリンスタンドを数軒経営している先輩で、顔もモデルみたいだし、どこをとってもカッコイイ人。その人から昔、『中田よ、無敵になれ』と言われて。それは、最強という意味ではなくて、世の中に絶対に争う相手を作るなということ。僕、まだ尖っているところがあるので、それは心がけるようにしています。神戸に帰ると、いつもこの2人には必ず会って刺激をもらっています」
いつかは故郷に戻って仕事がしたいという中田さん。関西のビジネスシーンにおいて期待することを聞いてみた。
中田智晃さん(以下:中田さん)
「いま僕の住んでいる東京には、大きなことをやって一発当ようという意識の高い若者や、そんな人たちがやっているベンチャー企業が本当に多いです。20代前半の若者が億単位のお金を借りて会社を立ち上げ、なかなか黒字にもならないのに頑張っていますよ。もちろんそういう人は関西にもいると思うのですが、もっと増えてほしいですね。K4というメディアで、こうやって活動している人がいると知って、行動を起こすきっかけの1つになれば嬉しいなと思います」