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株式会社グアダループ代表取締役 | 岸野一雄
2022.01.03
「株式会社グアダループ」の代表取締役・岸野一雄さん。1996年に同社を設立してから25年、多くのCMやミュージッククリップ、広告プロデュースを手がけながら、日本のメディアの変遷を見てきた第一人者でもあります。京都生まれ大阪育ちの岸野さんは、大学入学を機に上京し、メディア人生をスタート。その人生をさかのぼりながら、日本におけるビューティー番組の先駆者としての歩み、これからのメディアについての考えも伺います。
株式会社グアダループ代表取締役 | 岸野一雄
きしのかずお/京都府京都市生まれ。1987年に早稲田大学文学部美術科を卒業。大学在学中からフジテレビで学生職員や出版社でのアルバイトなどを経験し、卒業後はCM製作会社を経て1996年に「株式会社グアダループ」を設立、独立。ビューティー関連のメディアを中心に、多岐にわたってプランニング・プロデュースを手がけている。
映像制作を中心に、あらゆるメディアでビジュアルクリエイティブや企業ブランディングをプロデュースする「株式会社グアダループ」。岸野さんは日本初のビューティー専門番組『BeauTV~VOCE』(テレビ朝日)、Amazonプライム・ビデオのビューティー番組『BEAUTY THE BIBLE』の企画監修と総合演出を務めるなど、ビューティー専門番組の制作でもその名が知られています。
映像制作を主とする『GUADELOUPE(グアダループ)』、コスメブランド『おいせさん』で知られる『MARTINIQUE(マルチニーク)』、そして2020年、ビューティ動画プラットフォームメディアを運営する『BEAUTYFOR(ビューティーフォー)』を新たに立ち上げました
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「グアダループ」は、日本初のビューティー専門番組『BeauTV~VOCE』や、Amazonプライム・ビデオのビューティー番組『BEAUTY THE BIBLE』でも知られています。まずはプロデューサーとしてさまざまなヒット番組を生み出してきた岸野さんに、地上波とサブスクリプション(サブスク)、それぞれのコンテンツを作るうえで必要な視点から伺います。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「いまはYouTubeやいろんなSNSも出てきて、テレビを見ない人やテレビをきっかけに商品を買う人も限られてきました。そのなかでどう商品を届けるかというのは、メーカーさんもマスメディアもこの何年かはずっと考えて、チャレンジしている課題。例えば地上波に関しては、多くが視聴者のみなさんは無料で見られるコンテンツですよね。そこで必要なものは、分かりやすく言うと『テレビを見ていない人にも分かる番組にすること』なんですよ」
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「例えば美容好きな人だったら、出演する美容家さんについての説明がなくても、どんな人か分かりますよね。でも地上波では、美容に詳しくない人にも分かるようにしなければいけない。つまりどんな人なのかということを(テロップなどで)細かに説明するんですね。対談番組なら、話している最中にずっと名前が出ていたり。でも知っている人からしたら、それはもういらない情報。そこで何が起こるかというと、本当に伝えたい動画の中身(情報量)が薄まってしまうんですよ。でも目的は『誰が見ても分かること』だから、そのうえでクオリティーを上げていくのが僕らの仕事」
そして「最近の映像体験は、目的が違ってくる」と岸野さんは続けます。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「Amazonプライム・ビデオで『BEAUTY THE BIBLE』を制作するときは、いい意味で真逆なんです。サブスクであるこちらは見たい人が見るコンテンツなので、先ほどお話した『必要なもの』は、すべててカットしたんですよね。説明しないし、商品名や値段も必要以上に出しません」
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
サブスクの番組では、あえて情報量を少なくすることで、何が起きるのでしょう。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「みんな気持ちが積極的になるんです。つまり『これってどこのどんなアイテムだろう?』って探し始めるんですよ。こちらがすべて用意してしまうと画面のなかで完結してしまいますが、本当に伝えたいことに重きを置いて細かな情報を必要最低限にすると、人は自ら探します。文字情報がないぶん、出演者のトークやコスメのテクスチャなどに目と耳がいく。番組を見て“次の行動”に繋がるのはもちろん、その“体験”って、なんだかわくわくするものだと思うんですよね」
『BEAUTY THE BIBLE』に関しては、出演する田中みな実さんらに「欲望のまま、カメラは気にせずにガンガンいってください」とリクエストしたそう。その狙いとは?
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「『BEAUTY THE BIBLE』は美容に興味がある人がわざわざ見にくる場所であるから、マニアックな美容提案をしたかった。視聴者が出演者の間に入ってのぞいているような、入り込める番組にしたかったんですね」
さらに「映像作りにおいても、テレビとはまったく違う」のだそう。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「ピントをしっかり合わせているテレビのセオリーに対して、こちらはムービーのように、ちょっと後ろをぼかすなど、あえてピンを外す場面多いんです。主にミュージックビデオで扱う手法ですが、そうすることでアイテムや人への注目度を上げたり、番組の世界観を形作っていきました」
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「あとは、長く美容の世界にいるなかで、メーカーのトップの方やそれに近い方たちと話をしていると、『BEAUTY THE BIBLE』や『BeauTV~VOCE』のような番組を自分たちでやりたい! という声が多いんですね。新製品のプロモーションも兼ねて。けれどいま、地上波でテレビ番組を始めると、よほどのことがない限り1年間やるのが最低条件で、コストが億単位かかるわけです。それをいちメーカーがやるのはハードルが高いから、何かやれないかな? と考えて、ビューティー動画メディア『BEAUTYfor』を運営する会社『BEAUTYFOR』を立ち上げました。こうしたアプローチは、まだ誰もやっている人がいなかったし」
「やっぱりデジタル領域でちゃんとした美容番組を作らなければいけないと感じていたし、興味もあるからその世界でやってみようと。最近、動画メディアの視聴者の動向を見ていると、YouTubeのような無料で見られるプラットフォームでも、きちんと作りこんだテレビ番組らしいクオリティが求められてきていると感じています。そのためにも『BEAUTYfor』のようなメディアが必要なのではないかと」
『BEAUTYfor』には、これまでのビューティー動画にはなかった工夫も。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「基本的に、英訳のテロップを入れているんです。実はこれ、日本のビューティー動画で実践しているところはほぼなくて。なぜなら試聴から購買までが、日本国内ですべてが完結しちゃうからなんですね。でもジャパンビューティはいま、アジアを中心に海外からとても興味を持たれているんですよ」
「一つの例を挙げると、外資系の化粧品ブランドの方が、『日本のメイクアップアーティストの能力はすごい』と話していたことがあって」と岸野さん。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「『なぜ?』と聞いたら、『日本人の顔は、欧米の人に比べると割とフラットでしょう。そのフラットな形をいかに立体的に魅せるかなど、欧米の人たちが考えつかないようなノウハウを持っているから、その技術は海外でも生かせる』と。やっぱり日本におけるビューティーの技術力はすごくて。特に肌質や生活スタイルが近いアジアのみなさんは、役に立つノウハウがいっぱいある。さらに欧米の人もその手法に興味を持っているから、これからは世界ともつながっていこうと思っていますし『BEAUTYfor』でも、そうしたビジネスモデルを作っていこうと計画中です」
ビューティーというジャンルと、動画メディアの相性のよさについて、岸野さんはどう感じているのでしょうか。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「例えばコスメをはじめとするアイテムの使用感や、プロによるメイクのプロセスを伝えるなら、動画が一番適していると思いますね。コロナ禍では特に、店舗でコスメを試すことが難しくなったでしょう。そうしたときに、商品の魅力やどんなものなのかを分かりやすく伝えられるのが動画。雑誌でコスメの紹介やメイクのハウトゥーをしても、スペースにも限界がありますし、どうしても数枚の写真でプロセスを紹介するしかない。印刷のディテールの限界もありますしね。なので実際に、コロナ禍がピークのときはハウトゥーやコスメの紹介動画に対するニーズがすごくありましたね」
撮影現場でも、動画メディアならではのビューティーコンテンツの強みを感じるそう。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「ビューティーモデルさんにメイクをするときは、必ず本人もその過程が見られるように脇に鏡を置いているんですね。すると、スッピンからきれいになっていくプロセスを見ながら、だんだん表情が晴れやかになってきて、肌につやが出てくるんです。その変化は動画じゃないと撮れない」
「『BEAUTYfor』はまだまだスタートして間もないから、たくさんのファンがいるのかというと、これからなんですが。でも『いま、見つけたぞ』と思って見にきてくださる方や、『新しいコンセプトでやっているのが魅力的』だと言ってくださるクライアントさんに支えられています。なので臆せず、まさにゼロイチでやっていこうと思っています。いままで自分がやってきたこともすべて、スタートはそんなもんでしたから」
「いままで経験したことがすべて、つながっていまがある」と岸野さん。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「僕をよく知っている人は、『本当にいろんなことをやっているね』と言ってくれるんです。改めて自分を振り返ってみると、もうずっとこの感じなんですよね。たぶん生まれたときから、サラリーマンになって会社を立ち上げるまでもずっとこのままかな。胸を張って言えるのは、“ここかな”という芯はブレずに変わらないこと。人より多く失敗しているし、そのなかで成功も経験しているという、何ごとも人より多いくらいというか」
京都生まれの岸野さんですが、育ったのは大阪。商売をされていたお父さま、エンタメ好きなお母さまのもとで育ち、特にお母さまからは大きな影響を受けたそう。いわく、自分は「根っからのプロデューサー気質」。「メディアの世界に進んだのも、両親の影響が大きかった」といいます。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「高校までは大阪で育ちました。父親は大阪で商売をやっていて、母親は結婚してから専業主婦として家族を支えてくれて。母はお芝居や音楽のコンサートが好きで、大きな影響を受けましたね。子供のころから太秦の映画村や近所に時代劇のロケを見に連れて行ってくれたりしたので、ずっと芸術や映画というものが身近ありました」
「商売をしていた父は、目標や会社のことなどを書きこむ手帳をいつも持っていて、物心がついたころに僕にも手帳を持たせてくれたんです。とにかくいろんなことを手帳に書く人だったので、それにならって僕も『今週の目標』や『来月、来年のこと』だとかを書くようになって。それをきっかけにモノゴトを計画したりじっくり考えるクセが付きましたね。いまはいろんな立場で仕事をしていますが、大きく言うと何もない、今風に言うと“ゼロをイチにする”じゃないけれども、まさにそういうことをずっとやってきていて。そのDNAは、やっぱり両親から受け継いでいると思います」
岸野さんが大阪から上京したのは、大学進学時。「やっぱりメディアの仕事をするためには、東京がベストだろうと。なので大学受験も、東京の大学しか受けていないんですよ。そんなやつは多分、僕の高校ではいなかったけれど(笑)、自分がやりたいことのために迷いはありませんでしたね」。そして大学入学後、岸野さんのメディア人としての歩みがスタート。その原点は、18歳から学生職員として勤めていたフジテレビでした。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「大学生時代に、学生職員としてフジテレビに入りました。それが僕のマスコミ人生のはじまり。たまたま大学で入りたいと思ったサークルの部屋に行ったら、机のところにフジテレビの封筒があって、そこに電話番号が書いてあった。すぐに電話して、『とにかく会ってください、バイトでもいいので働かせてくれ』と」
熱い思いを伝えたところ、会ってくれることになりました。すると「君はここで何がしたくて電話をしてきたの?」と、フジテレビの方。「マスコミ関係の仕事がしたい」と話す岸野さんに「今回はたまたまタイミングがあって会えたけれども、ほら」と、話すその人の横には履歴書の山があったそう。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「『こんなに送られてきているんだよ。君はいま、そこの一番最後だよ』と言われたけれど、一生懸命話をして。そうしたら最後に、『もし採用するとしたら、いつから大丈夫?』と言われたのね。そのときに僕は間髪入れず、今日からでも、いまからでも大丈夫です! と言ったのよ、普通に。それがすごく響いたみたいで、その場で即採用になったの」
「なので、本当にやりたかったら『いま』だなと。本当にやりたいことなら『誰かに聞かないと』なんてならないわけだし。何ごとにおいてもそれくらいの意気込みで向き合うことが、何かをスタートさせるきっかけなんじゃないかと思いました。結果そこでは下っ端のころから多くのことを教えていただいたし、それが僕の血となり肉となりじゃないけれども、自分自身をつくっていると思うんですよね。その経験があったからいまがあると思っています。感謝ですね」
採用されたフジテレビでも、いろんな“きっかけ”が待っていました。お父さまにならって、もともとメモ帳を持ち歩いていた岸野さん。「学生職員として働いていたときに、まず仕事を教えてもらった女性がとてもすてきな方で。その方がエルメスの手帳を使っていたんです」と岸野さんは振り返ります。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「『大事な仕事をお受けして、それに関することは、それにふさわしいものに書かなきゃいけない。手帳は大事よ』と教えてくれたんですね。それは父親とのやりとりにもつながるものがあって。そのとき、決して安くはありませんでしたが、はじめてエルメスの手帳を手にしました。毎年変えてはいるけれど、ずっとエルメスというこだわりは変わりませんね」
学生職員時代に担当したなかでも印象的だった仕事を聞くと、「糸井重里さんの番組ですね」と岸野さん。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「NHKでやっていた『スタジオL(※1)』という番組があるんですが、毎日司会が変わるの。その時代のそうそうたるクリエイティブのスターたちのもとで勉強させていただいた、貴重な時間でしたね」
※1…1985~1987年に放送されていた、深夜のトーク番組。 放送当初は月曜日「糸井重里の夜刊タイムズ」、火曜日「林真理子のおんなでNight」、水曜日「南伸坊のテレビで考える」、木曜日「如月小春の見世物語り」など、曜日ごとのパーソナリティが番組を展開
学生職員として働きながら迎えた就職のとき。悩んだ岸野さんは、糸井さんに『どういう仕事をしたらいいですかね』と相談したのだとか。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「すると、『広告が合っているんじゃないか』と言っていただいて。そこで広告会社、いわゆるCMの制作会社に入ったのが社会人としてのスタートでしたね。2つのCM制作会社に行ったんですが、1社目は『東映シーエム』、そして2社目は写真家の操上和美さんによる『ピラミッドフィルム』へ。映像制作も最先端で本当にかっこいい、海外のCM会社が作るような映像表現をされている、クリエイティブを大事にしたいと思っている表現者たちによる会社でした。さまざまなことを学びましたね」
そんなときを経て、1996年に自身の会社「グアダループ」を立ち上げました。
テレビ局やCM制作会社など、さまざまな場所で経験を積んだ岸野さん。コンテンツ作りにおいて重要なことは何か? と問うと、こんな答えが返ってきました。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「例えば、化粧品メーカーのコマーシャルは、化粧品のことだけを伝えればいいのか? というと、それだけではもったいないと思うんです。それにプラスして、受け取る人が何か『よかったな』と思ったり、発見があったり、サムシング・エルスがちゃんとあることが大事で。それがあってはじめてメディアと言えるんじゃないかと思うし、すべてをそういう意識でやっています」
現在はビューティーに関するコンテンツを多く手がけていますが、それにもきっかけがあったのでしょうか?
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「僕自身も、もともとビューティーに興味があったんですね。身だしなみやファッションという意味も含めて、そういった前提がありました。それに加えてたまたま周りの仲間たちに化粧品メーカーのPRや美容雑誌の編集長が多かったから、そこからもいろんなきっかけができたと感じています。『新作コスメの発表会を予定しているんだけれど、なんか同じような内容になりがちなんだよね。ほかとは違う発表会をにしたいんだけど』って相談を受けたり」
「広告もCM制作も、やっぱり大手がありますよね。でも、大きな組織になればなるほど難しくなる事柄もあって。もっとアバンギャルドに、もっと自由な発想から何かを生み出せないか、という課題が出てきたときに、僕に声をかけてくれるようになって。『岸野、任せるからさ。俺たちはこういうモノを持っているんだが、これを形にできない?』って。それに応えるようにやってきたら、それがグアダループの個性になった」
主軸であるビューティー動画については「まだまだいろんなやり方があると思っています」と岸野さん。
岸野一雄さん(以下:岸野さん)
「これからビューティー動画でやりたいことは山ほどあります。志は高く、常に戦いながら、見ながら、進化する努力をしながら、ライバルに屈せずに続けていく。そうすると自分の目指すものが形になっていくし、周りの人をハッピーにさせることも絶対にできるはず。これからもそうしたミッションのもと、はっとするコンテンツを届けていけたらと思いますね」
岸野さんのメディア人生は、まだまだ続きます。