明るい日本を作るため、外国人労働者と事業者たちの架け橋に

株式会社YOLO JAPAN代表取締役 | 加地太祐

大阪・新今宮に拠点となる施設「YOLO BASE」を構え、日本全国に滞在する外国人たちの就労・生活支援を行っている加地太祐さん。困っている人を見過ごせないという性分、そして「日本のよりよい未来のために」という活動理念は、子どもの頃に思い描いた「ヒーローになりたい」という夢に繋がっています。

加地太祐

株式会社YOLO JAPAN代表取締役 | 加地太祐

かじたいすけ/1976年生まれ。高校を中退後、溶接工を経て金融関連の企業に就職。通っていた英会話スクールが倒産し、従業員の要望に応える形で事業を受け継ぎオーナーとなる。その後、サラリーマンを退職。スクール経営に専念し、講師派遣型の運営などを展開して生徒数を飛躍的に伸ばす。2016年、著書「成功する人の考え方」を出版。2019年より大阪・新今宮に就労インバウンドトレーニング施設「YOLO BASE」を開業。全国規模で在日外国人の就労支援に取り組んでいる。

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日本で成功したい外国人を万全の体制でサポート

現在、新型コロナウイルスの蔓延により日本〜海外間の渡航は大幅に制限されていますが、それ以前からインバウンドの影響で日本に定住する外国人の数は増加傾向にあります。彼らの就業については、長年にわたってさまざまなハードルや課題があり、この事実は日本の国際化に大きく歯止めをかけていました。

 

在日外国人の就労を円滑にするため、登録制の求人掲載事業を展開しているのが、大阪に本社を置く株式会社YOLO JAPAN。同社の代表を務める加地太祐さんに、今後の日本に必要不可欠という外国人労働者のサポートをするようになったきっかけ、そして、波乱万丈な半生についてお聞きしました。

加地太祐さん(以下:加地さん)

YOLO JAPANの代表を務める加地さん。「YOLO」は「you only live once(人生は一度きり)」を意味するスラングで加地さんの座右の銘にもなっています

現在、YOLO JAPANへの外国人の登録者数は226カ国、約20万人。その規模は国のデータベースにも匹敵するほどで大阪市とも連携をはかるなど、官民一体となって外国人のサポートを行っています。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「今後、日本は必ず高齢化に伴って労働力に困っていきます。そのために何をするべきかと考えたら、在日外国人たちの応援は絶対に外せません。僕、外国人が好きだからとか、外国かぶれでこういう事業をやっているんでしょ、とよく言われるのですが、そういうことではなくて、日本の将来を考えたら国力=人口になると思うんです。労働力を守る、なおかつ日本で頑張りたいと思ってくれている外国人を働かせたい。極端に言えばルールを守らないような悪い外国人は働けないような仕組みを作れば、みんな頑張るし、彼らも信用を積み重ねられる。日本の豊かな未来のために外国人がスムーズに働ける社会を作りたいんです」

多様性の時代に対応すべく、さまざまなタイプのスタッフが集まったYOLO JAPANのメンバー

加地さんが語る「信用」は、日本社会と外国人のコミュニケーションそのものを象徴しています。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「一部の身勝手な人のせいで外国人のイメージが悪くなることは、これまでにもたくさんありました。しかし、この国で一旗上げられるチャンスがあると分かれば、みんな真面目にやりますよ。ただ、最近は円安で日本は賃金が安いというイメージがついているし、それはすなわち母国への送金額も少なくなることを意味します。旅行での買い物なら得だけど、働くにはマイナスですよね。おまけに今はコロナのせいで、英会話講師やホテルの多言語対応担当者などの日本語以外の語学で活躍してきた外国人の方は、どんどん追いやられてしまう。どうすれば弱っている外国人を応援できるのか、僕ら自身も事業を縮小する中で本当に悩みました」

発進したばかりのホテル事業を閉鎖するなど、窮地にあったYOLO JAPANを救ったのは、予想外な方向から生まれたアイデアでした。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「お化け屋敷だ!とひらめいたんです。というのも、飲食店などの接客マナーは言葉ありきで日本語ができないと難しい。しかし、脅かすのに言葉はいらない。うお〜と言っていればいいから(笑)。それでおばけの募集をしたら速攻で50人ぐらい集まって。使わなくなったホテルのエントランスに3台の廃車を設置し、中に乗り込むとお化けが襲ってくる『ドライブインお化け屋敷』というアトラクションを始めたら予想を超える大ヒットに。好評につき何度か延長を繰り返し、おかげさまで、外国人演者を含むたくさんの方に楽しんでもらいました

2021年2月から開始された「ドライブインお化け屋敷」。ホラーアトラクションの専門会社が製作しているだけに抜群の恐怖感が味わえます

YOLO BASEがある大阪・新今宮は古くから労働者の街として有名ですが、この場所を選んだ理由には、加地さんの脳裏に焼き付く光景が影響していました。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「仕事で海外に行くようになって、アメリカで当時、コーヒー業界のサードウェーブとして注目を集めていたブルー・ボトル・コーヒーがニューヨークに進出したのを目の当たりにしたんです。しかもブルックリンという経済的な中心地から外れたところで、そんな街のほうが新しいチャレンジをするには最適だと感じました。それが日本だとどこになるのかと考えたら、昔からよく知っている新今宮は、まさにぴったりな場所。ただ、新今宮がエネルギーに満ちていたのって僕が中学生ぐらいの時の話で、労働者の方々も高齢化し、2000年代ぐらいから空洞化現象が起こっていたんです」

長らく廃墟となっていた宿泊施設跡に建てられたYOLO BASE。新今宮から新たなムーブメントを起こすことが期待されています

「しかし、あんなに勢いがあった街が、そんなことで収縮するのはダサい。今、当時とは違うバックボーンの人たちが、この街に集まり日本を支えていくというストーリーを思い描き、南海電鉄さんにプレゼンして、YOLO BASEが誕生しました。外国人たちが仕事をし、レストランでご飯を食べ、お風呂や休憩もできる。この中ですべて完結できるようなオフィスにしたいというのも、ここを作った大きな理由です。最近では外国人向けのコロナワクチン接種会場にもなっていたので、今後もそういった生活レベルからのサポートを続けていきたいと思っています」

YOLO BASE内観。広い店内はコワーキングスペースとしての利用やイベント開催にも対応しています

南大阪のやんちゃ少年、国際化社会の入り口に立つ

大阪・平野で生まれた加地さん。幼い頃から憧れたヒーロー像の根底には父親からの教えが大きく影響していました。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「小学生の時にちょっかいけてきたガキ大将とケンカするようなことはあったのですが、本来、僕は人見知りでもめごとも嫌い。それなのに、なぜか噂が独り歩きして、隣町に引っ越した時は、まだ学校も行ってないのに不良グループの子から家に電話がかかってきたんです。そしたらうちの父親が出て『息子とケンカしたいのか。負けても知らんぞ』なんてけしかけて(笑)。何してくれるねんと思ったけど、『そうやってかましたらケンカにならんから』と言われて出向いたら、父の言ったとおりで。父は豪快だったけど善悪に対する考えや道徳教育についてはとても熱心で、そのおかげで僕もぐれずに育つことができたと思います。中学3年生の時には生徒会長みたいなことをしていましたよ」

やんちゃだった少年時代。噂が独り歩きしてケンカを売られることも多かったのだとか

血気盛んな少年時代を過ごした加地さんは、若くして社会人への道を歩みだすことに。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「進学した高校が全然合わなくて、2年生まで通ってやめちゃったんです。それで溶接工になって20歳で結婚。ここで人生最初の転機が訪れました。溶接工って雨が降ったら現場が止まるんですけど、僕の先輩たちは、そうなるとボートやパチンコなどに繰り出してしまう。その様子を見て『こんなんで大丈夫なのか…』と、だんだん不安になっていきました。自分が子どもの頃に見た漫画のヒーローは、ちゃんと頑張っていて努力している。でも、当時の自分は全然かっこよくなかった。それで家族をしっかり養うためにサラリーマンになろうと思ったんです」

再就職を目指して動き始めた加地さんでしたが道は険しく、いくつもの採用試験を乗り越えて、ようやく新天地にたどり着きます。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「面接に全部落ちて唯一拾ってくれたのが、いわゆる商工ローン。街金の会社でした。いちばん下っぱで『手形ってなんですか?』というぐらい何も知らなかったけど、お金に関する知識をたくさん勉強させてもらいました。うちの会社は本当に健全経営だったけど、貸したお客さんに1円も返してもらえなくて逃げられたり、そういうトラブルは何度か経験しました」

溶接、金融と若くから社会人として豊富な経験を積んできた加地さん

プライベートでも外国人と関わることが増え、コミュニケーションツールとして英語の学習を始めたいと思いました。英会話の扉を開いた加地さんは、またたく間に上達。しかし、予想外の出来事が。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「ある日、事務員の女性から『実は、来月で閉店するんです』と言われて。どうやらオーナーの外国人と連絡が取れなくなり、給料も家賃も未払いでやっていけなくなったということでした」

金融業での経験から経営について知識があったとはいえ、赤字の英会話スクールの切り盛りに不安が絶えませんでした

大変やな~と思っていたところ、その事務員から『加地さん、一緒にこの英会話スクールを立て直してくれませんか?』と言われて。え、なんで?と思ったけど、性格的に目の前の問題を見過ごすこともできない。その頃には決算書の見方や売り上げ、経費など、経営に関してある程度の理解もあったので、自分ができることをなんとかやってみようと決意しました。ただ、当時のスクールは1ヶ月の売上が18万円で家賃が23万円。どないすんねん、これ、という状況でしたね(笑)」

かくして英会話スクールのオーナーとなった加地さんですが、二足のわらじを履くことで、その生活は多忙を極めることに。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「平日は朝8時から夕方6時まで金融のお仕事、そこから英会話スクールに入って、なんやかんやして終わるのは夜11時ぐらい。週末は稼ぎどきなので、もちろんスクールにいます。そうこうしているうちに僕を誘った事務員さんがやめさせてほしいと言い出して。『私は子どもの頃から東京で働きたいという夢があって、それは誰にも止められない』って。マジかよって思ったけど、止められそうもないから了解し、その代わりあと3ヶ月は働いてくれとお願いしました。そこで、新たに人を探さなければと思い、実の弟に昼間のスクール運営を任せることにしたんです」

講師を生徒の家に派遣するという新しいスタイルで経営不安を突破。生徒数も右肩上がりに増えていきました

暗中模索で、なんとか切り盛りしていたスクールでしたが、時代の波に乗った方法でブレイクスルーへの糸口を掴むことに。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「英会話スクールって箱として考えると1つの教室に9人しか入れないとして、月謝が1万円で教室が8つなら9×8で、72万円が売上の最大値なんです。で、習いたい時間帯はみんな同じで、夜7時台なんかは、だいたい混みます。この箱にとらわれている限り大きな商売はできないということで考えたのが、先生を生徒の家に派遣するサービス。昔、カフェで英会話みたいなのが流行ったじゃないですか。あれの先駆けですね。教室だと人数制限があるけど、外なら関係ないので、先生さえ確保すればいくらでも派遣できる。これでようやく儲かり始めました」

歩みだしたヒーローへの道

順調に売り上げを伸ばし始めた英会話スクールでしたが、、、

加地太祐さん(以下:加地さん)

『このまま二足のわらじでやるのは、サラリーマンに毛の生えたような感じやし、あかんわ』と思って。子どもも当時は3人いて、養うためならサラリーマンだけど、ヒーローになるためには自分で事業をせなあかんということで、サラリーマンをやめて英会話スクール一本でやることにしたんです。そこからオンライン英会話も導入して、生徒も3千人ぐらいまで増えていきました」

加地さんの著書「成功する人の考え方」は、出版不況と言われる時代の中で1万部を売り上げるヒット作に

ところが38歳の時、僕の乗るロードバイクと車が衝突するという交通事故に遭い、生死の境をさまようんですね。5日間意識がなく、顔面も68針塗って死にかけました。それでふと『あの時死んでいたら俺、英会話のおっさんで終わってた!』という事実に直面するんです。ヒーローにもなれず、自分が飯を食うためだけに命を私物化して無駄にしたわって。で、やっぱり何がしたいかと言うと金儲けより、お役に立ちたいと。自分の命を使って、生きた証を作らなければダメだと思いました」

生死の狭間から蘇った加地さんは、自らの生きた証を残すこと、そして社会貢献に向けて動き始めます。

加地太祐さん(以下:加地さん)

まずは本を書こうと思い『パパ絶対に1年後に作家になるから』と宣言しました。出版元は、当時よく読んでいたビジネス書の多くがダイヤモンド社から出ていたので、ここしかないだろうと。そして、本を売るためには読者が必要、そのために自分のファンを作ろうと思い、自分のブログサイトを開設。日々考えていることなどを書き連ねていたら、半年後にはFacebookのフォロワーが10万人を突破しました」

「ヒーローとして活躍したい」というモチベーションを支えているのは、日本の未来、そして子どもたちへの思いから

「これでいけるだろうと知り合いにダイヤモンド社を紹介してもらい、ブログの内容をリライトして、2016年に『成功する人の考え方』というタイトルで著書を出版しました。初版6000部が一週間で完売し、最終的に1万部売って結果も出せたので、作家はこれで終わり。次は日本のお役に立つ事業をという目標ができました。これまで英語の先生として派遣してきた外国人たちの困り事をいろいろ聞いてきたので、彼らをワンストップでサポートできるサービスを僕なら作れるのではないかと思って、それが現在のYOLO JAPANへと繋がっていきます」

今後の日本で外国人が活躍するために

長年に渡り外国人の就労支援を行ってきた加地さん。今後もよりよい日本を作るという使命感のもと、そのサポート体制を強化するビジョンを打ち出しています。

加地太祐さん(以下:加地さん)

少子高齢化によって、日本の労働人口はどんどん減っています。それに対して、日本に住む外国人は年々増え、現在約300万人の方が日本で過ごしています。しかし、外国人の方は日本で過ごすのに、仕事や家を見つけるなど越えなければならないハードルがたくさんあります。そこを、僕らでサポートすることで外国人と日本人との共生を図れたらと思っています。結果それが、日本の人手不足の解決策となると考えています

YOLO BASE内のレストランで雇用と連動した外国人食堂を計画中

日本における外国人の就労は、まだまだハードルが高く、その壁を打ち崩すのは容易ではないと語ります。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「昔に比べたらかなり働きやすくなったけど、それでもまだまだ。日本って人口が1億人を越えているので、日本語だけで社会が回っているんです。企業から面接に際し『優秀な人材がほしい』と言われて外国人を連れて行っても、『ハロー』と挨拶しただけで相手の顔色が変わってしまう。西海岸の優秀な大学を出ているエンジニアですよって言っても、『うちは日本語が話せないと無理なので…』なんて言われる。それって職業的な優秀さじゃなくて日本語能力を求めているだけなんですよね。だから外国人が就ける仕事って、どうしても単純労働が多くなる。これは非常にもったいない話だと思います」

加地さんは、そんな外国人就業の現実を日本社会が抱えている過疎化の問題とリンクさせ、事態の打開を図っています。

加地太祐さん(以下:加地さん)

「日本中の企業が人手不足にならないようにしたいのと同時に、地方に暮らす外国人をもっと増やしたいです。先日、当社に来た相談でいうと、愛媛県の宇和島で11月からみかんの収穫が始まるのに人が足りず、誰か人がいないかと聞かれました。しかし宇和島近辺に住む外国人なんて普通に考えていないじゃないですか。だったら、クライアントに住む所を用意してもらって都市部から人を連れて行くんです。宇和島なら物価も安いので東京や大阪にいるよりお金を残せる。だから地方がいいやんって。都心だけでなく地方で暮らす選択肢もあることを広く知らせたい。今後の日本では、外国人の受け入れ体制を整えることで経済的なことも含め、いろいろなことが円滑に回っていくと思います」

「一度きりの人生を生き抜こう」。新たな世界へ飛び込む経験を何度も重ねてきた加地さんの言葉は、チャレンジすることの大切さを物語っています

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YOLO BASE

YOLO BASE

YOLO JAPANが運営する外国人向けの就労支援施設。コワーキングスペースやレストラン、500人収容のイベント会場を併設し、セミナーの開催なども行う。

YOLO BASE

住所/大阪府大阪市浪速区恵美須西3-13-24

電話/06-6645-1750

営業時間/10:00〜19:00

休み/土日祝(イベント時営業あり)

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