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さくらインターネット株式会社 代表取締役社長 | 田中邦裕
2021.11.15
日本におけるインターネット文化を支え続けてきたさくらインターネット株式会社。その代表を務める田中邦裕さんは、沖縄への移住、作業のリモート化などを率先して実行し、新たな時代の働き方を切り開いています。
さくらインターネット株式会社 代表取締役社長 | 田中邦裕
たなかくにひろ/1978年生まれ。1996年、舞鶴工業高等専門学校在学中にさくらインターネットを創業。卒業後に法人化し、社長に就任する。低価格で大容量というサーバー事業が広く認知され、2005年に東証マザーズに上場。2019年より沖縄に移住し、より多角的な活動を展開している。また、社外活動として⼀般社団法⼈ソフトウェア協会副会⻑なども務めている。
2019年に関連法が施工され、世の中に広まっていった“働き方改革”というワード。副業解禁やフレックスタイムの拡充など、より自由な働き方を推進するべく多くの企業が導入に取り組んでいますが、その流れを一気に加速させたのは、2020年以降の新型コロナウイルスの脅威でした。感染防止のため可能な限り自宅で仕事を行うなど、それまで一部で囁かれていたオフィス不要論などが一気に現実味を帯びはじめ、事業規模の縮小を行う企業も増加。リゾートと労働を両立させたワーケーションという考え方もこの頃から提唱されるようになりました。
日本を代表するインターネット企業・さくらインターネット株式会社の代表取締役社長・田中邦裕さんもこの動きに呼応し、2019年に沖縄に移住。会社のトップが離島に移住という、一見、意外なこの行動も、作業のリモート化や趣味であるダイビングと仕事の両立、オフィスの最適化など、さまざまな点と点が繋がって働き方改革の理念を具体化するものでした。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
田中さんが沖縄への移住を決断したきっかけには、ダイビングなどのリゾート的な要因だけでなく、仕事上のつながりも関係していました。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「コロナ前から沖縄には⽉に1〜2回、ダイビングしに来ていたのですが、ホテルが取れないということがたびたびあったんですよね。なのでもう部屋を借りたほうが安いのではと思ったのがまずひとつ。しかし、それよりも大元にあったのは、リタイア後のプランとして沖縄に住みたいという思いでした。これまでにも沖縄県のスタートアップやIT振興など自治体の仕事を個人的にやっていて繋がりもあったし、住んでいれば地元の友人も増えるのではないかと思って」
田中邦裕さん(以下:田中さん)
将来の平穏を見据えての沖縄移住でしたが、実際はオフィスへの出勤がなくなったことで身動きが取りやすくなり、よりフレキシブルに仕事に打ち込める環境を得ることに。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「部屋を借りたのは 2019 年の 10⽉でしたが、その頃は⽉に 2〜3 回も沖縄に来られたら良いほうで。それが 2020 年にコロナの感染拡⼤でさくらインターネットもリモートワークにシフトし、僕もその年の4月から沖縄に定住しています。それまでは週イチで朝礼のようなものをやっていたのですが、正直『これ、もう全部オンラインでええんちゃう?』思っていたのが、やっと実現できました(笑)。コロナで大変な思いをした中、みんなで工夫したことが元に戻ってしまうのはもったいない。この働き方を得たことで、みんな楽になれたし、僕も当分リタイアしないで済むなと思いました。沖縄とのつながりを深めるきっかけにもなったし、今後もこのスタイルは続けていきたいですね」
沖縄での定住で自身にフィットしたライフスタイルを得た田中さんですが、当地が抱えている課題については、全国の観光地にも共通する問題があると語ります。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「日本って豊かな国なのに、なぜか豊かに暮らせない。それは、すでにある資産をうまく活用できてないからなんです。最近、SDGsなどが提唱されていますが、作る責任、使う責任と共に、無駄にしない、もったいないと思う気持ちを持つことが本当に大切です。今から⼤規模に投資してイチから開発するよりも、全国各地にある、使われていない別荘や観光施設を活⽤して、みんなが新しい体験にお⾦を払ったら経済も動きます。⾃然と共⽣しながら、あるものを活⽤する社会になりつつありますが、もっとその考え⽅が浸透してほしいですね」
沖縄移住のきっかけの一つにもなったダイビングは、当初、軽い気持ちで始めたものがどんどん本格的になっていたのだとか。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「奥さんが会社の人とライセンス取りに行くというので僕も誘われて、やっているうちにダイビング繋がりの友だちも増えていきました。ダイビングは、それ自体も楽しいけど、いろいろな場所に⾏って、潜った後に海の景色を見ながら呑む一杯が最高なんですよね。あと、やはり海鮮がおいしいところが多いので、そういう意味ではダイビング単体というよりもトータルでの体験を楽しんでいます。沖縄以外でも関東だと伊豆、関西だと白浜や串本などがお気に入りのダイビングスポットです」
田中邦裕さん(以下:田中さん)
初心者が気になるのは、やはりライセンス。複数の段階があるものの、レジャー目的であれば、比較的イージーに取得ができます。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「⼀番初歩がオープンウォーターというもので、僕は、その次のアドバンスドまで取得しています。アドバンスドは、オープンウォーターより深くまで潜れたり、酸素がちょっとプラスされたタンクが使えたりなど、いくつかのオプションをセットにしたもの。オープンウォーターでもそこまで不⾃由しないけど、レジャー⽬的なら、アドバンスドを持っていれば、だいたいのことはできます。ただ、ライセンスを取得したからといって絶対に無理はしないように。それさえ注意すればリスクは極めて低いので安⼼して楽しんでいただけると思います」
田中さんは自身のSNSなどでダイビングやマリンレジャーの魅力を投稿。臨場感あふれる写真や動画は、見ているだけで非日常へと誘われます。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「自分たちが潜っているすぐそばにクジラやイルカが来て、まるでテレビのドキュメンタリー番組で見るような光景が繰り広げられます。最近はコロナの影響で人が少なかったからか、海の生き物たちものんびりしているようで、自分でも驚くような画をカメラに収められています。沖縄の海は、もともとシュノーケリングなんかもしてどんなものか知っていたけど、本州の海は黒潮の影響もあって、イカとかクエとか、さまざまな種類の魚が見られるのが興味深いですね」
また、コロナ禍でダメージを受けた沖縄のダイビング業者を救うべく、新たな取り組みも。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「友⼈のダイビングショップが、お客が減ってボートも余っているし、どうしたものかと相談を受けたので、貸し切りのサービスをはじめたらとどうかとアドバイスしました。少⼈数でボートを借りて、午前と午後で2本潜って、3本⽬は潜らずに船の上で宴会をするというような。居酒屋に⾏っても⼀⼈5千円〜1万円かかるし、さらに2次会なんか⾏ったら結構⾼いじゃないですか。だったら普通のダイビングで1万5千円ぐらいかかるところを2万5千円〜3万円出してもらって、バーベキューセット持参で飲み放題、⾷べ放題をやるのってすごくいいと思うんですよ。今はまだお店での宴会もやりにくいけど、船上であれば換気もできてこれなら安全ですしね」
大阪・大東市生まれの田中さんは、奈良県郡山市や兵庫県丹波篠山市などで少年時代を過ごし、1993年に舞鶴工業高等専門学校(舞鶴高専)へと入学。子どもの頃から触れていたコンピューターや電子工作への知識を、より専門的に学ぶようになります。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「⼩学校の時に⽗が NECのPC6001というパソコンを貰ってきてくれて、それでBASICを使ったプログラミングを始めました。中学では電⼦⼯作やパソコンが好きな友⼈と⼀緒にいじったりするようになって、その影響でロボット関連のエンジニアになりたいと思うようになりました。そういうこともあって舞鶴⾼専に⼊学したんです。僕がいたのは電⼦制御⼯学科というところで、CAD で設計をするとか、構造計算をCのプログラムで書いて⾏うとか、コンピューターは主に計算機として利⽤していました」
高専3年生だった1996年にインターネットに出会った田中さんは、世界中の人々と情報を共有できるという夢のようなプラットフォームに大きな衝撃を受けます。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「もともと学内の⾝内が⾒るためだけのウェブサイトを作っていて、研究室に⾃分のサーバーを勝⼿に置いていたんです。その後、⾼専のロボットコンテスト出場のため東京に⾏ったら、街頭でインターネット体験コーナーというのをやっていたので、⾃分のサーバーのアドレスを⼊れたら⾒ることができたんですよ。これはすごい!と思って。それをきっかけに⾃分の夢がロボットからインターネットへと移っていきました」
日本におけるインターネットの夜明けを見た田中さんは、在学中の1996年にさくらインターネットを創業。起業のきっかけは、身近な友人たちからの言葉でした。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「研究室に置いていたサーバーを撤去しないといけなくなったのですが、そうすると友⼈たちから『お⾦を払うから使わせてくれ!』と⾔われ、そのまま事業としてサーバーを運営するようになりました。⾼専卒業と同時に法⼈化し、1999 年 4 ⽉に株式会社に。2005年に東証マザーズで上場し、紆余曲折ありましたが、おかげさまで現在まで続けられています。ブログやSNSなどWeb 2.0と呼ばれるサービスが活気づくなど、インターネットでなにか新しいことをやりたい⼈たちの要望が更新される中でさくらインターネットも⼤きくなっていきました」
大容量のサーバーをリーズナブルで提供するさくらインターネットは、一躍、同業他社の中でも抜きん出た業績を獲得。このコストパフォーマンスの実現には、田中さんを始めとするスタッフの業務に対するスタンスが大きく影響しています。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「⽇本ではものづくりにおいては技術者が社⻑になることは多いけど、ソフトウェアや IT 企業になると、⼤半がマーケティング主導になるんです。アメリカのIT企業だとトップの多くは技術者で、さくらインターネットも技術者主導で運営を⾏ったことで独⾃性を⾼めることができたと思います。⾃社でサーバーを組み⽴てていたから安く提供できていたし、開発のコストも抑えられるからたくさんの機能を⼊れることができました。他社がサーバービジネスをやめる中、さくらインターネットは独⽴系のポジションを守り続けています」
インターネットの歴史に大きな影響を与えてきた田中さん。働き方改革やコロナ禍を経て、今後の社会は、さまざまな業種でIT化が進むと予想しています。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「今、僕の働き⽅を⾒て、『IT 企業だから、そういうことができるんでしょ』と思われる⽅も多いのですが、実はそうでもなくて、多くの職種がIT化が可能だと思っています。デジタルトランスフォーメーション(DX)と呼ばれているものがまさにそれで、ショッピングやチケット⼿配などは、すでにオンラインが主⼒化していますし、対⾯販売よりも利益率が上がっています。飲⾷店でも最近は、保健所の許可をとって⾃宅のキッチンで調理し、料理は配送業者に届けてもらうという形態もあります。物流のように⼈が直接携わらないと成⽴しない仕事もありますが、『これは本当に出社しないとできないのか?』と思われるような業種では、今後もどんどんオンライン化が進むでしょうね」
「ただ、そうやって世の中がどんどん最適化されてしまうと変化ができなくなってしまいます。広いオフィスや高い家賃などは無駄と判断されるかもしれませんが、実際は、それで成り立っている仕事もあるし、社会が柔軟性を保つための重要な余白だったりするんです。とはいえ、さくらインターネットも東京や⼤阪のオフィスを縮⼩して、全社員にコワーキングスペースの無料パスを渡すなどの最適化に取り組んでいるので、この辺のバランスは難しいところですね」
田中邦裕さん(以下:田中さん)
また、このようなIT化の流れとは対象的に、顔を突き合わせて語り合うコミュニケーションの場を作るというビジョンも。
田中邦裕さん(以下:田中さん)
「六本木にスタートアップの人たちを繋ぐための『awabar』という飲食店があって、僕を含む上場企業の社長数名で出資をしているのですが、今、これの沖縄版を那覇市内に作っています。仕事はオンライン化が進められていますが、人との出会いって、空間を共有し、目・口・鼻・耳などの五感を活用することでこそ生まれるんですよね。ネットだけでは、まだそのビットレート(情報量)は凌駕できないし、この場を通じて沖縄のスタートアップの人たちが出会い、地域の活性化に繋がっていくといいなと思っています」
てんしば
大阪・天王寺公園内にある約7,000㎡の芝生広場。レストランやカフェ、グッズショップなどが建ち並び、自宅が近かった田中さんがよく通っていたという「てんしばオクトーバーフェスト」など、さまざまなイベントも開催されている。
てんしば
住所/大阪府大阪市天王寺区茶臼山町5番55号他
電話番号/06-6773-0860(てんしば管理事務所 9:00~17:00)
開園時間/7:00~22:00