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Live Bar FANDANGOオーナー | 加藤鶴一
2021.11.08
全世界のあらゆる産業や商業に大きな打撃を与えた新型コロナウイルスの感染拡大。日夜、熱いステージを繰り広げるライブハウスも例外ではなく、多くの店舗が休業を余儀なくされました。大阪で長い歴史を持つLive Bar FANDANGOは、どのようにしてコロナ禍を切り抜けたのか。その再生の道のりには、エンタメ業界復興へのヒントが示されています。
Live Bar FANDANGOオーナー | 加藤鶴一
かとうつるいち/1966年生まれ。1988年に大阪・十三のLive Bar FANDANGO(以下、ファンダンゴ)にアルバイトとして入店し、1995年、店長に就任。30年以上にわたって数多くのライブイベントを開催し、関西の音楽シーンに多大なる影響を与える。2019年にファンダンゴが移転する際、店を法人化し、合同会社ラブ十三の代表とファンダンゴのオーナーを兼業。現在もブッキングや企画運営に携わり、インディーズシーンの最前線を支えている。
2020年から続くコロナ禍では、エンターテインメント業界も多大なダメージを受け、特にライブハウスはクラスターの発生があったことから、十把一絡げで風評被害を被るという厳しい期間がありました。
数ある大阪のライブハウスの中でも、30年を超える歴史を持つファンダンゴもまた、感染拡大の余波を受け、開店以来、初となる長期の休業を経験。「ロック喫茶ファンダンゴ」という別業態での営業を経て、現在、ようやく通常時の7割ほどの状態までブッキングが回復しました。
関西のエンタメ業界にも大きな影響を及ぼしたこの危機をどのようにして乗り越えたのか、ファンダンゴを運営する合同会社ラブ十三の代表・加藤鶴一さんにお話を伺いました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
2020年の初頭から感染のニュースが取り沙汰されるようになった新型コロナウイルス。通常通りの営業を行っていたファンダンゴにも徐々に暗雲が迫ってきていました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「僕は最初、こんなもん、すぐに収まるやろうし、騒ぐものでもないと思っていました。それが2月頃から、ちょっとずつイベントのキャンセルが増えていき、顕著になったのが3月。なんか営業していても、お客さんや出演者、スタッフみんなが、どこかもやもやした気持ちになってきたんです。それでみんなで話して、ちょっと休もうとなって。3月末に休業を決定して4月1日から2ヶ月間、完全に営業を休みました。出演が決まっていたバンドやアーティストにもごめんって、キャンセルさせてもらって」
開業以来、初めてとなる長期休暇。ライブ営業こそされていませんでしたが、加藤さんは再開に向けての準備を進めていました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「ファンダンゴで働きだしてから30年以上、こんなまとまった休みを取ったことがなかったから、正直、最初はめちゃくちゃテンションが上りました(笑)。昼間からテレビで時代劇やサスペンスを見て、夕方になったら風呂屋に行くという生活を送っていましたが、楽しかったのは本当に最初だけ。すぐに仕事モードに切り替わって、延期や振替になった公演、中止になったチケットの払い戻しはどうするのかなどの対応を考え、事務作業に打ち込んでいました」
2ヶ月間の休業を経て営業を再開したファンダンゴでしたが、感染拡大への懸念から通常のライブではなく、軽食を提供する「ロック喫茶ファンダンゴ」という形態を取ることに。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「あの当時、ライブハウスは叩かれていたけど、居酒屋は時間制限がありつつも営業していたんですよね。それで僕らも、ライブは無理でも、なにかしらやっとかな腐ってしまうと思い、苦肉の策で6月1日から喫茶形態の営業を始めました。せっかくだから普段できないことをやろうということでフリーマーケットを開催したり、僕はスタッフから『加藤さんは手相やって!』と言われて本を渡されて勉強したり(笑)。イレギュラーではあったけど楽しかったですよね。やっぱり休んでいるより、なにかやって人と話すのって大事やねんなって確信しました」
手探りな状況の中、喫茶の傍らで弾き語りライブも行うなど、段階的に通常の営業再開に向けて動き出すように。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「喫茶も盛況だったのは開店一週間まで。僕らの力だけではどうにもならないと分かったので、なじみのアーティストに協力してもらい、生音で歌ってもらう弾き語りライブをブッキングし始めました。7月に一度、試験的に通常のバンド形式での営業を行い、8月頃から少しずつ本数を拡大。10月には十三から堺に移転して1周年を迎えるということもあり、喫茶営業は9月末でいったん終了しました」
ようやく本当の意味での再スタートにこぎつけたファンダンゴ。異例づくしの日々だからこそ生まれたコミュニケーションや温かい言葉もありました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「お世話になっているバンドの人たちから『手伝えることがあったら言って』『ライブで穴空いたら駆けつけるので連絡ください』と言ってもらえたのは心強かったです。お客さんとも、いつもは爆音であまり話せないけど、喫茶営業をしたことでじっくり語り合えたのも良かった。2021年はFUJI ROCK FESTIVALなど、夏フェス開催についても賛否両論ありましたが、やはり一歩前に進む必要はあると思うし、僕らもそういった動きから力をもらえました。今は、感染対策のガイドラインに則りながらではありますが、ライブを楽しめる環境も徐々に取り戻せてきたので、これを守りながら元の状態に戻る道筋を模索したいと思います」
ファンダンゴは1987年10月、大阪・十三で開業。当時、関西ではまだ少なかったライブハウスの新店にバンドマンたちがこぞって集まり、インディーズシーンの発信地として注目を集めるようになりました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「実は、十三ファンダンゴがあった場所は、もともとうどん屋だったんです。その店が閉店して、入居している立体駐車場のオーナーさんが、『若い子を呼べるような店をしたい』と言ったら、どうも『ライブハウスは儲かりまっせ』とか言われたようで(笑)。それで、仕切りができる人を探して人づてに紹介してもらったのが先代店長だったMUちゃんという女性。僕は開店からちょっとしてバイトで入ったけど、MUちゃんに2人目のお子さんができて育児に専念したいということで1995年から店長を引き継ぎました」
キャバレーや居酒屋などが軒を連ねる歓楽街として知られていた十三。その対極にあるようなライブハウスがオープンしたことで、当初は風当たりも強かったのだとか。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「昔からの大人の遊び場に、若い奴らがうるさい音を出す場所ができたというので、最初は嫌われていました。開店10年ぐらいでやっと町の人たちに認めてもらえるようになりましたが、それと前後して十三の街から徐々に飲み屋や人が減ってしまって。昔はバンドの演奏なんて気にならないぐらいにぎやかだったんですけどね。ただ、ファンダンゴ自体は、それまで関西インディーズシーンの中核だったエッグプラント(※)が閉店したことで、そこに出演していたパンクやハードコアのバンドたちが来てくれるようになり、ロックンロール系のバンドと合同でイベントをやったり、良い意味で混沌とした空間になっていきました」
※…大阪・花園町にあった伝説的なライブハウス。1989年に閉店
ファンダンゴを代表するバンドと言えば、「ガッツだぜ!!」をはじめ、さまざまなヒット曲を持つウルフルズ。彼らが頭角を現し始めた頃の大阪の音楽シーンもまた、溢れんばかりのエネルギーに満ちていました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「ウルフルズはファンダンゴがオープンして翌年ぐらいから出始めたのですが、僕が入った頃には、もうすごい人気でした。月イチで出演して徐々にお客さんは増えていき、時には月に2回ワンマンライブをやって、それでもチケットが売り切れるぐらい。彼らの他にも、ボアダムズや少年ナイフが世界的に人気を得るようになったのと、ライブハウスがブームになってきたことも重なり、一時期、大阪が音楽シーンの中心地みたいな状況が確実にありましたね」
数々の有名バンドを輩出し、関西のバンドマンたちにとって聖地のような存在となっていた十三ファンダンゴですが、入居する立体駐車場の老朽化で立ち退きを迫られ、2019年7月31日に閉店。同年10月1日より堺市に移転し、営業が再開されました。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「十三が閉店する時にたくさんの方から連絡をいただき、ウルフルズも急遽ライブをしに来てくれるなど、本当にみなさんから愛されたライブハウスだったんだなと実感しました。現在の堺ファンダンゴは、船舶関係の工具を収納する倉庫だったのを大家さんがパーティースペースに改装して運営されていたのを僕らが引き継ぎ、今の形にしました。若いスタッフたちは十三への思い入れも強いので、PAブース前の壁や階段、ドアなど、持ってこられるものは全部持ってきて、前のイメージを再現しています」
堺ファンダンゴは、南海本線堺駅から徒歩5分という好立地。工場地帯に佇む姿が印象的です。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「周囲が工場地帯だったりヨットハーバーがあったり、十三とは正反対なロケーションがおもしろいですね。開店から2年を迎え、ようやく覚えてもらえるようになってきたかな。周辺が混沌としていない分、自由でゆっくり時間が流れる感じでやらせてもらっています。ただ、出演者の中には、いまだにMCで『来たよ、十三!』と間違えてしまう人もいますが(笑)。アクセスも十三のときより便利になったし、ぜひ気軽に足を運んでもらえたらと思います」
30年以上にわたってファンダンゴを見守り続けてきた加藤さんにとって、現在のバンドシーンは、どのように映っているのでしょうか。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「関西に関して言えば、その昔、強烈な個性と言われていたものが全国に広がったことで、濃度が薄まったというのは正直、感じますね。シーン全体でいうと、みんな演奏はめちゃくちゃうまいけど、『これが俺なんや!』という感じで、ありったけの自己表現として音楽をやっている人が少なくなってきているかも。そういう意味では、1980年代後半〜1990年代中盤の盛り上がりを知る50代ぐらいのアーティストたちは、いまだに当時の濃さを保っているかもしれません(笑)」
そう語る加藤さんが近年、衝撃を受けたというバンドがGEZAN。トライバル、ハードコア、ヒップホップなど、さまざまなジャンルをミックスし、独自の音楽像を確立。ライブハウスでの活動を積み重ねながらFUJI ROCK FESTIVALなど大型フェスにも多数出演するなど、めざましい活躍を見せています。
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「この数年、見たバンドの中で印象的だったものといえば、GEZANに尽きますね。彼らも東京に出て、今や全国区のバンドになったけど、ファンダンゴに出始めたときは、まだ20代前半。もう、とんでもないのが出てきたなと思いました。やっていることも面白かったし、昔ながらの関西のシーンに対してアンチテーゼを唱えるというスタンスも刺激的でした。あんなバンドはめったにいるもんじゃないけど、出会ってしまったら、ライブハウスの経営者なら、もう絶対に離したくないですよね(笑)」
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
コロナ禍という未曾有の危機に直面しながらも態勢を立て直してきた加藤さんが今、思い描くファンダンゴの展望とは?
加藤鶴一さん(以下:加藤さん)
「コロナで離れていたお客さんを呼び戻すためのイベントを週イチぐらいでやっていきたいですね。今のところ、ライブの本数も月に17〜18本ぐらいに戻ってきましたが、緊急事態宣言や時短要請も明けたので本格的にブッキングも再開させて、ここらで一発、『堺は盛り上がっているぞ!』というのを示したい。飲食店の閉店時間が早まっていたから打ち上げもご無沙汰でしたが、また出演者のみなさんとも飲みに行きたいです(笑)。それとやっぱり、若いバンドを中心に、関西の音楽シーンで、また大きな波が生まれてほしい。ファンダンゴがそのお手伝いをできるといいなと思います」
Live Bar FANDANGO
1987年開業の老舗ライブハウス。ジャンルを問わず幅広いアーティストのライブを開催し、関西インディーズシーンの情報発信地としてコアな音楽ファンの注目を集めている。
Live Bar FANDANGO
住所/大阪府堺市堺区戎島町5-3
電話/072-256-4326
営業時間/イベントにより異なるため公式サイトでスケジュールをご確認ください